若さとパワーの象徴だった。ケンとメリーのスカイライン2000GTXと浅間高原の別荘。

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Photo by Kojiro

ここで前にも述べていた「ケンメリスカイラインGTX」の登場。1972年登場の4代目スカイライン・C110系は、ボディサイズを拡大、直線的なボンネットと丸みを帯びた流麗なスタイリングになるのですがリアフェンダーに走るブレスライン「サーフィンライン」が素晴らしい洗練された形で登場しスカイラインアイデンティティとして確立したのだった。写真は1974年の夏。生みの親の桜井慎一郎氏が嫌ったとしても僕自身はとてつもなく洗練されたスタイリングだと今でも思っている。トランクスルーのビルトインされたスキー板がトランクから飛び出てくる肘掛やリヤシートのヘッドクリアランスはセリカXXと比較しても素晴らしいものがあった。それでこのデザインなのだから。「愛のスカイライン]の2ドアも後席はかなり狭かった記憶がある。広告では前作の「愛のスカイライン」の延長として展開された「ケンとメリーのスカイライン」が楽曲も爆発的ヒットを記録し、「ケンメリ」の愛称で呼ばれるようになった。Buzzが歌う「ケンとメリー~愛と風のように」がシングルヒット、「ケンとメリー」のロゴ入りTシャツが何十万着も飛ぶように売れたそうだ。CMに登場した北海道のポプラの木が観光スポット化され、一種の社会現象に至ったことで記憶されている。この熱狂の中、通称「ケンメリ」は77年夏までの約5年間で、スカイライン過去最高の累計66万台の販売を記録したそうだ。この写真のシチュエーションの説明をしよう。浅間高原の貸別荘である。多分当時のジャパンタイムズのサムとT女史。AL時代のコピーライター夫妻と自分の5人と黒猫の5+1乗りで鬼押出しの入り口の別荘を借りてくれていたのだ。この当時は軽井沢が大好きで毎年夏休みになるときていた。日帰りも多かったのだがこの次の年も浅間の麓の別荘に泊まっていたのだ。いうならば別荘乞食なのだ。軽井沢プリンスにも何回かは利用させていただいてはいたものの、転々と人の別荘におじゃまし、布団代も払わず失敬する、極まりない人間だったようである。この写真はそこから旧軽のJ美大の寮からその女性たちをピックアップしに行くところ。彼女たちはなぜか軽井沢の別荘たるやどんなところが見たいと思ってなのか積極的に訪問してきたのだ。当然ナンパしたわけではなく、AL化粧品の宣伝の同期のデザイナーがいたからで、真面目にエンジョイしたのだった。ただ迎えに行く道中が面白いドライビングスポットだった。マニュアルシフトのセカンド・サードとヒル&ツーで白糸の滝コースをドリフトで駆け下り、また登ってくるの繰り返しで楽しめた。j美大のOB逹は5〜6名いたのか一回では運べず、何往復かした。ノーマルタイヤとスチールホイールでターボではなかったのだが当時は未舗装のなぜか木漏れ日がある日はカラッとし、ちょっとウェットな日は土が閉まる最高な道で、楽しいドライビングだった。今や白糸の滝周辺でクルマの駐車スペースができスピードだして通過すらできなくなっている。全舗装の道の有料道路に化しているのだが当時は夕方になると料金所がしまってた気がする。あの素晴らしい夏休みを今一度僕にください。なんちゃって失礼します。                                  コウジロウの独り言