2016-01-01から1年間の記事一覧

落書きはEF15でも許されない。

EF15で有る。これは渋谷近くの国鉄の路線を走っていた当時のPhoto。落書きはされているものの何故か精悍である。1973年に当時の国鉄の国労と動労が順法闘争を争議戦術として経営側に対抗していた。その意思表示がこのEF15の落書きである。発車しない。ダイヤ…

W124メルセデスの空力は0.29って本当?それはリヤガラスのモールの処理から?

メルセデスベンツW124の空力Cd値:0.29はないだろうって、ネット上で書かれてる人がいる。元ユーザーとして反論を述べたい。EクラスだからSクラスと比較してベンツとは言えないなんて人もいますよね。それは間違いです。メルセデスは腐ってもメルセデス。亡…

憧れのイソ リヴォルタ・フィディアが42年前現役で存在してた。

イソの4ドアサルーンは1967年のフランクフルト・ショーでデビュー。ベルトーネではなくギアに在籍してたジウジアロウのデザインだった。当時はマセラッティ・クアトロポルテがライバル。シボレーエンジンの5.4リッター、やがて5.7Lそして5.8L-355psまでの性…

井の頭公園の鴨は何処から来て優雅な時間を過ごしてるのでしょうか?

ちょっと息抜きしたくて、かわいい鴨達のお話をしてみたくなりました。実家が武蔵野市だった為、井の頭公園によく散歩にでかけたものです。この写真は数十年前、井の頭恩賜公園の池の片隅に暖かい日差しを浴びていたカルガモ達を撮ったもの。僕が近づいて行…

40年前のオールズモビル・トロネードは幅2mの斬新なFF車だった。

1974年2月。卒業旅行でヨーロッパツアーに参加してた自分。シトエンBX同様これはかっこいいと思い、シャッターをきった大きなクルマ。オランダかイタリアのどちらか?解る人がいたら教えてほしい。オールズモビル・トロネード(Oldsmobile Toronado)。 GMの…

あのシトロエンBXは何処へ

僕がパリ・シャンゼルゼ通りで見たシトロエンBXは日本では見たことのないエアロパーツを付けた銀色のスポーツバージョンだった。パリの石畳にとてつもなくシルバーメタリックの輝きをきらびやかに、とても格好いいスタイルだった。自分が乗っていたのは2年間…

チンクェチェントが元気な限りヨーロッパの風景は変わらない。

チンクェが5をあらわし、チェントが100の意味を持つフィアット500。フィアットチンクェチェントは何時頃から走ってたのでしょうか?当初のネーミングこそ、排気量が500ccだから「フィアット500」となったのですが、その意味が?途中から変わった。 新型…

マセラッティ・ギブリの室内に吹いて来たサハラ砂漠の烈風。

1966年に発表、デザインはカロッツェリア・ギア時代のジョルジェット・ジウジアーロによるもの。あのスタジオ・ジブリは世界的にはギブリとなっているのはご存知ですよね。日本では読み方を間違えてジブリとなったらしい。(この事は最近知った) スタイリン…

海の貴婦人「シナーラ」と「シカーラ」そして「ダックリング」。

ヤマハシカーラ・セイルボート。1980年代に兄弟で購入したライトディンギー。名前には当時好きだったボズ・スキャッグスの「Harbor Light」という曲名をつけた。4m7cm.国際レースQの470と長さは似ているが確か63cm短いY-14。冬には毎週苗場スキ−場に日帰り…

愛のスカイラインの倍の売上げを果たしたが? 桜井真一郎氏に嫌われていたケンとメリー。

BUZZの曲「〜愛と風のように〜」が流れ流面美のコバルトブルーのハードトップ2000GTが「ケン&メリー」と登場! 1972年に日産 スカイラインはモデルチェンジを受け、C10型「ハコスカ」からC110型「ケンメリ」にバトンタッチしたのです。 Photoは自分が乗って…

モハメッド・アリに敗れたマック・ファスターは強かった!

1972年4月1日、東京・日本武道館でモハメド・アリと闘い、15回を戦い抜いたが負けてしまったマック・フォスター。26歳でプロデビュー。デビューから3年半の間に24戦24勝(24KO)という驚異的な強さを誇った。 アリとの戦いで敗れたものの、15回ラウンドの中…

レーシングドライバー・米山二郎氏とリーバイススペシャル

1972年年5月3日。.富士スピードウェイで日本グランプリが開かれた。 パドックでは J.サーティーズチームのメカニックが長髪の金髪を靡かせて心地よいサウンドで出て来た。 ピットとパドックの間に当時は駐車スペースがありそこには、見た事もないデザインの…

「GT-Rに初めてロータリーが勝利した日」

photo by Kojiro 1972年に発売されたマツダロータリーサバンナ。12A型搭載車は持ち前のパワーを生かし無敗神話を持っていたスカイラインGT-Rと激闘を繰り広げ遂に王者を打ち負かした。 コウジロウの昔の趣味は幅広かった。 国内ラリーチームにも入り、そのカ…

「日本での初試合の靴底は青かった」

元ボクシング王者、モハマメッド・アリ氏が死去の報。74歳だった。 30年超の闘病の末、亡くなった。 を聞き、1970年代を振り返る。 photo by Kojiro 「1976年に伝説の猪木VSアリ戦に決着はない」と言われた「世界格闘技の日」と有名な試合があった。そ…