2018-08-01から1ヶ月間の記事一覧

1972年頃の大間・函館フェリーの絵葉書

スキャニング by Kojiro 絵葉書である。学生時代の実家に出したハガキが自分の紙焼きボックスから出てきた。日付を見るのを忘れたが、1972年の7月だろう。当時は青函連絡船が頻繁に運行しており、学生だった我々のバイト代で旅行する者たちには高額のフェリ…

カモメはカモメ。本当は海猫。南船橋・ウォーターフロントの3分間。

Photo by Kojiro ヨガのレッスンをゴールド・ジムで受けた帰り道。その日は家のクルマは無く、なぜかチャリンコで出かけていた。ララポート裏に海老川の下流にカモメが一羽飛来してきた。ipad miniを近づけても飛び立とうとしない。よく見ると海猫と判別がつ…

層雲峡とスカイラインそしてスーパーオスカー。

Photo by Kojiro 1972年7月。箱スカで来ていた北海道。そして品川ナンバーと真上のグリルに嵌め込まれたスーパーオスカー。1968年10月。直列6気筒エンジン搭載のGT(GC10型)は誕生した。S5型同様、フロントノーズを延長しているが、S54型と違い、開発当初か…

Lonesome Car-boy。でちょっと一息。

This illust was drawn by kojiro ロンサムカーボーイとは、ウィキペデアから1977年から登場したブランドで1986年にパイオニアのカロッツェリアにブランド変更するまでラインナップされたカーコンポのブランド名なのである。その広告のワン・シーンのビジュ…

フィアット・128とジェントルマン

Photo by Kojiro イタリアのミラノかローマの1972年のワン・ショットである。こうなると記憶がないのです。クルマの横の男性に目が行ってしまい、おもわずキャノン・ペリックスのシャッターをきっていた1カット。クルマは「フィアット・128」。1969年3月にデ…

上野毛のミニ・クーパーS

Photo by Kojiro 自ずとしれたミニ・クーパーです。T美大の横のブロック塀に路上駐車していた。1971年頃の事。 設計者イシゴニスの友人のクーパー・カー・カンパニーの経営者ジョン・クーパー。彼は1959年と1960年のF1のコンストラクターズ・チャンピオンに…

旧系国電40系車両の希少写真。

Photo by Kojiro 急に昔の写真(蔵出し写真)に舞い戻ります。多分クモハ40033です。国分寺から東京競馬場前駅行きの電車である。廃止直前時点において、閑散時は武蔵小金井電車区所属のクモハ40071, 074のどちらかが単行で運用されていたのだそうだ。この辺…

ドリームカーのポンティアックファイアーバードが幕張のイオンにやって来ていた。

Photo by Kojiro 写真のクルマはナイト2000-ポンティアックファイヤーバードである。Knight Riderは、アメリカの特撮テレビドラマ。私立探偵機関の調査員、マイケル・ナイトが、人間の言葉を話し特殊装備を搭載したドリーム・カー『ナイト2000』とともにさま…

ライン川のプファルツ城。白い色のヨーロッパのお城。

Photo by Kojiro ライン下りの際に一際目立つ建物、それは前のブログで書いていた。ライン川の船上でドイツの白ワイン飲み競争を1974年2月にJ美大の方とやっていたら何と上空に城が聳え立っていた。写真のネコ城(Burg Katz)である。そこへ向かう前にか眼に…

30型ニッサンローレルは上高地の清らかな風を感じていた。

Photo by Kojiro 上高地帝国ホテル。その前になぜかガラガラだった道路脇の駐車スペースに一台のエレガントなクルマが写っている。久々チョットピンボケの写真で申し訳ありません。クルマの向こうにいた兄の画像を消すのにチョット苦労した写真なんですが、…

プジョ−508は新型508を待つ間でも新鮮である。

Photo by Kojiro プジョー508は、フランスの自動車メーカー・プジョーが生産・販売するセダンが「508」。ステーションワゴンが「508SW」というクルマ名となっています。写真は実弟のクルマ。見るからに高級車というイメージのクルマ。自分の乗っているボルボ…

写真の向こうにはスカイツリー!でも自然の大きさと美しさには勝てない。

Photo by Kojiro 写真は家の近くの埠頭からスカイツリー方向に向かって落ちていく夕陽を撮影したものです。ターナーの絵を思い出させるような空気感と色彩。なんとこの日の南船橋も35度を超えていた。南西向きの自分のリビングのベランダから広く空と夕陽が…