層雲峡とスカイラインそしてスーパーオスカー。

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Photo by Kojiro

1972年7月。箱スカで来ていた北海道。そして品川ナンバーと真上のグリルに嵌め込まれたスーパーオスカー。1968年10月。直列6気筒エンジン搭載のGT(GC10型)は誕生した。S5型同様、フロントノーズを延長しているが、S54型と違い、開発当初から6気筒化を配慮した設計構造とデザインを備えていたためか、6気筒モデルの方がバランスの整った外見となっていたのは事実。4気筒のスカイラインはわざとボンネットを短くしたのでは?と疑問である。S54型に搭載されていたプリンス製G7型エンジンに代わり、日産製直列6気筒OHC2,000ccのL20型(シングルキャブ)を搭載する。ローレルと反対で、エンジンを日産、ボディをプリンスが担当した逸材品。発売当初はかまぼこ型シリンダーヘッドと呼ばる後年主流となるL系エンジンとは形状が異なる物が搭載されていたのだそうだ。最高出力は105馬力。1969年以降L20型エンジンを搭載する全車種で新設計のエンジンに順次切り替わり、115PS(レギュラーガソリン仕様)となった。新旧を区別するため、新型をL20Aと呼称(車検証上の原動機の型式に変更はない)したがって、旧エンジン追いやられ、後年は新型もL20と呼称するようになった。このL20は世界的にも有名な量産品であった。サスペンションは、4輪独立懸架となる。だからこの時の北海道探索一周ツアーで4人乗車となると後ろのタイヤはハの字を書いて横に広がってちょっと滑稽だった。のちの暴走族のステータスシンボルにもなるのだが。第15回東京モーターショーに、「スカイラインGTレーシング仕様」が出品された。翌年発売されるGT-Rのコンセプトカーであった。このスカGは暴走族ではなく、オートバイの蜂の子族に対してモグラ族とでも言われそうだった。そんな人気のある時代のクルマに乗り層雲峡まで来たのだった。層雲峡は、北海道上川町にある峡谷。大雪山国立公園に中にあり、石狩川を挟みなんと約24kmの断崖絶壁が続いている処。1921年(大正10年)に訪れた大町桂月氏が命名。大雪山黒岳山麓にある層雲峡温泉は現在では大型ホテルなどが立ち並ぶ北海道有数の規模を誇る温泉街を担ってるが1972年当時はそれほどでもなかった気がする。層雲峡および大雪山観光の中心地となっている。この写真あたりが当時道路から撮影する場所としては雲峡の峡谷美が最も素晴らしい場所だと思ってた。約3万年前の大雪山の噴火により堆積した溶結凝灰岩が石狩川によって浸食されたことにより生まれたとされている。今現在では国道39号層雲峡温泉から石北峠方面に向かうと長さ3,388 mの銀河トンネルがあるそうだ。もともと国道39号は層雲峡の渓谷に沿った断崖絶壁の直下を通過しており、石狩川をはさんでそびえ立つ柱状節理の巨大な岩盤「天城岩」や「流星の滝」「銀河の滝」、さらに巨大な岩壁が目と鼻の先に迫る「神削壁」などのダイナミックな光景を見ながら通過することができていたのだ。がしかし安全を確保するため、特に落石の危険性が高いとされた「神削壁」の区間をトンネルで迂回するようになっているとの事。この写真を撮ってから8年後の1979年(昭和54年)に小函トンネル(延長1,134 m)が建設された。その後も落石は頻発し、1987年(昭和62年)6月9日早朝、天城岩の一部が11,000 m3に及ぶ大規模な崩落を起こしたとある。石狩川を上から被さるように埋め尽くし、対岸の国道39号を走っていたトラック等の車両5台とサイクリングの集団を直撃し、約100 mに渡って国道をも埋め尽くした。人的被害は岩盤の直撃を受けた数名が亡くなった大惨事だったとあります。この災害以後、復旧までの間、国道39号は当該区間が通行止めとなり、利用者は遠軽周りの大きな迂回を強いられた。その後も落石が頻発したことから、後に流星・銀河の滝から先は完全に閉鎖。自転車・歩行者を含め一切の通行が禁止されたのだった。この場所は今でもこうやって顕在するんでしょうかね?ここが見れなかったら本当につまらない街道と壁が名ばかりのものになってしまいますね。           コウジロウの独り言