モハメッド・アリはトランプ大統領をどう思っているか?

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Photo by Kojiro Photo data Canon Perix FD200mm F4

このブログの連載の一番最初に書かせて頂いたモハメッド・アリ。1972年の神宮外苑でのスパークリング帰りのクルマに乗る前のワンシーン。彼が生まれた1942年。出生地はケンタッキー州ルイビル。初めの名前は、カシアス・クレイ。今、アメリカのヘビー級ボクサーの話題があがってこないのは何なのか?まるでトランプ大統領がプロレスラーのラリアットをCNNにかけているシーンがあった。こんな格闘技が流行るからかもしれない。大統領のロシア疑惑ばかりがめだっている。モハメッド・アリが生きていたらなんて言うのだろうか?聞いてみたいものだ。カシアス・クレイは1960年のローマ五輪で金メダルを獲得するが、帰郷したケンタッキーで人種差別を受け、悔しさから金メダルを川に投げ捨てた事実。1960年にプロデビュー。当時、アフリカ系アメリカ人(黒人)が公民権の適用と人種差別の解消を求めて行った公民権運動が盛り上がりを見せており、クレイもマルコムXらが所属するネーション・オブ・イスラム(黒人のイスラム運動組織。イスラム教から派生した新宗教)に入信。但し、1970年代の日本での試合のトレーニング中のアリは相手のマックフォスターに比べると真っ黒な黒人ではなかった。やや茶褐色の皮膚感だった。こんなことを言うのもなんだが、当時としてはインテリジェンスすら感じる優れた黒人に見えた。格好良かった。アリはリングネームをモハメド・アリに改めた。1975年にはイスラムスンナ派に改宗。1964年、世界ヘビー級王座を獲得。本名をモハメド・アリへと改名。1967年、アリの良心的兵役拒否(宗教の信条や政治的、哲学的な背景に基づく兵役拒否)により、最初の裁判で禁固5年と罰金1万ドルを科せられ、ヘビー級王座とボクサーライセンスも剥奪された。その後も信念を曲げずにアリは戦い続け、4年後の1971年に最高裁判所で無罪を勝ち取る。1972年の神宮。再びリングにあがる為の特訓として日本でのマック・フォスタ−戦を企画。リングに復帰したアリは、1971年に世界ヘビー級王座に挑戦するも敗北していた。その後1974年にジョージ・フォアマンに勝利し王座に返り咲いた。1976年には、再来日してアントニオ猪木と格闘技世界一決定戦を特別ルールで戦い、引き分けとなっている。一年前の2016年6月3日、米国アリゾナ州の病院にて74歳で永眠。朝のトレーニングのクルマは4代目クラウンだったと以前にも言っていた。国内では『クジラ』の愛称でも呼ばれた。当時はそんなには言われてなかったようですけど。このモデルですが、未だにカッコよく感じる1台。さすが名車という風格が漂ってた。この代から正式名称が「トヨペット・クラウン」から「トヨタ・クラウン」に改称、ボディタイプは4ドアセダン、ハードトップステーションワゴンワゴン、ライトバンの4種に固定されてた。外観の丸みを帯びたイメージより『クジラ』の愛称で親しまれていた。当時では先進的なボディで先端を絞り込んだデザインなどによりエンジンルームへの通風が不足しオーバーヒートが頻発したなど多くの問題が生じたらしく不評が相次ぎ、「クラウン史上最大の失敗作」とまで言われたそうだ。機能としても先進技術を搭載しており、電動リクライニングシートや世界ではじめてのアイドリングストップ機能を搭載するなど話題に欠けなかった1台だった。ただ自分の記憶の中にアイドリングストップだったとは覚えていない。                                    コウジロウの独り言