ライン川のプファルツ城。白い色のヨーロッパのお城。

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Photo by Kojiro

ライン下りの際に一際目立つ建物、それは前のブログで書いていた。ライン川の船上でドイツの白ワイン飲み競争を1974年2月にJ美大の方とやっていたら何と上空に城が聳え立っていた。写真のネコ城(Burg Katz)である。そこへ向かう前にか眼に入る建物・プファルツ城である。この写真のお城です。白い色なので日本のお城見たいとよく言われる建物。昔はライン川の通行税を取り立てるための税関所だったとか言われているのですが。700 年近く前の 1326年に通行税を徴収する関所として、右岸にあるカウプ街のライン川の中州に建てられた真っ白な古城なのである。現在は、資料館となっていて見学できるんだそうです。中洲までは渡し舟に乗って行くとのこと。これに乗るだけでもちょっとした船旅が楽しめるそうです。平らな岩島にルートヴィヒ4世によって築かれた、軍艦を模して造られたお城だったそうです。五角形の船の形をしているのは、激流化した水の流れによる損傷や流木などで城壁が崩されるのを防ぐためといわれています。今、温暖化で日本列島では川の氾濫とか起きこんな平静を保って存在できない場所の河原。その対策をも計算して建てられていたとは凄いことです。はじめに中核の五角形で6層の大塔が建設され1327年に完成。跡を継いだ甥のルドルフ2世によって1338から1342年に塔を囲む城壁が増設されたのだそうだ。この頃から「城」と呼ばれるようになっています。1607年には右端に稜保とアーケードの内部も造られています。どんどん拡充されレンガと漆喰で造られた白い城壁の高さは12mもあり、天然スレートで葺いた黒い屋根とのコラボレーションも見どころのひとつとなっているそうです。城壁の上には矢狭間や石落としを供えた木造の防御施設も整っています。その都度改築がされてたみたいで、城は1714年になんとバロック様式に改築され、現在のような姿になったのだそうだ。税徴収のために作られたお城なので、戦争などの被害にあうこともなかったようです。現代人にとっては行き易くありがたい立地にあるプファルツ城ですが、中世の頃から既にこの場所は交通の要塞でした。オランダ語で Rijn,英語では Rhine,フランス語ではラン Rhin。Rheinはドイツ語。全長 1238.8km。貿易の要であるライン川中流、城の上流には川を狭める船の難所「ローレライ」があり、フランクフルトやサッカーで有名なFC東京から渡った武藤がいたマインツと言った大都市を目指す船は必ずこのプファルツ城の傍らを通る必要があったのだそうだ。そんな理由から、プファルツ城は小さくとも立派な税金の稼ぎ頭として君臨していたのです。この写真でも登ってく大型の船。今でも行き交う輸送船も多いようです。                             コウジロウの独り言