写真の向こうにはスカイツリー!でも自然の大きさと美しさには勝てない。

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Photo by Kojiro

写真は家の近くの埠頭からスカイツリー方向に向かって落ちていく夕陽を撮影したものです。ターナーの絵を思い出させるような空気感と色彩。なんとこの日の南船橋も35度を超えていた。南西向きの自分のリビングのベランダから広く空と夕陽が見える毎日。オレンジからマゼンタに変わるその瞬間が美しいのである。このエリアに引っ越してもうすぐ12年。この広い空間が目当てだった。この日は早めにドライブがてらの買い物帰り。あまりにも綺麗だったのでクルマを降り、立ち入り禁止区域の防波堤へ!空気は想定していた爽やかさはなかったんだが、清々しさは湧いてきた。イタリアのベニスの夕陽までをも思い出させてくれる自然の芸術。シルエットになる建物たちが可愛ければもっと絵になるのだが!ここのところの異常気象が要因なのかは疑問であるのだが?この異常気象は昨年の冬から起きていた。1-亜熱帯ジェット気流と寒帯前線ジェット気流が、日本付近では南に蛇行していた。2-ラニーニャ現象の影響により、インドネシア付近の積雲対流活動が平年よりも活発だった。3-大西洋上空のジェット気流の持続的な蛇行の影響も考えられます。4-大西洋上 空のジェット気流の持続的な蛇行や、バレンツ・カラ海(ロシア北西海上)付近の海氷が平年と比べてかなり少ない影響も考えられます。と異常気象センターで言われていたのです。昨年の冬からこうゆう現象がこの夏の気候の異常さの原因になっているのでしょう。とにかく地球規模の現象として恐ろしいことなんですよね!           コウジロウの独り言

とうとうやってきたボルボ新型V60・V40の最新情報・2018−2019

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フルモデルチェンジの情報やスペックからPHEV搭載までの可能性を示唆するパブリッシングがよく出てきている。最初の写真は左が自分の愛用車のV40。右は義理の弟のV60。なんと値段はV40の倍.600万円オーバーもする。外から見たらそんなにわからないですよね?今年2018年2月21日、ボルボスウェーデン本社にてステーションワゴン「V60」のフルモデルチェンジが発表さたのである。「V60」は2010年に登場したボルボステーションワゴン。今回のフルモデルチェンジで2代目だそうだ。オーナー二人を知っている自分の感想だが、旧型ボルボV70からV60に乗り換えてた人たちが喜ぶであろう。新型V60のボディサイズはフルモデルチェンジ前と比べ全体的に大きくなってるそうだ。

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公開は第88回ジュネーブモーターショー(開催期間:2018年3月6日~18日)で実施された。ミドルクラスワゴン「V60」の新型を世界初公開された。全長は4,761mmとプラットホームを共有するXC60よりも117mm長くなってるそうで、ホイールベースも2,873mmと98mm長くなっています。かなり荷室容量が増えるに違いない、新型V60動力種別は、エンジンはガソリン(1種類)、プラグインハイブリッド(2種類)、ディーゼル(2種類)で構成されるらしい。ガソリンモデルのエントリーグレードとなるT4が発表後12ヶ月(日本時間で2019年2月22日)までに追加されることが明らかになっているそうです。また、ディーゼルモデルのエントリーグレードとなるD2は導入予定はないそうです。エントリーモデルの価格が475万円〜、最上位グレードのT8が821万円〜(英国価格)という噂もありますが、定かではありません。日本に導入される際は英国価格よりも値上げがなされそうです。とにもかくにもフロントライトのウィンカーのアイデンティテイを守ったバリエーションには目を見張るものがある。自分は現行V40のオーナー。フロントライトがLED化されてないものを購入してしまったからひどくこれは気に入らなかった。セールスと試乗したクルマと違ってるとよく言い張ったものだ。(そんなに強くは言えないのだが)案の定それ以降のマイナーチェンジ等繰り返すたびにフロントライトとウィンカーのアイデンティティが共通の新デザインになって行ったのには、自分の目の付け所が悪くなかったことの証明にもつながるのではないか? 次にV40である。これはまだ画像情報だけなのだがS40が先に登場するらしい。S40はXC40同様ちょっと角ばったカタチを踏襲しそうである。V40はリアのライトがかっこよさそうである。これも好みで各自が好き好きで蝕刺を動かして来る方々は本当のボルボユーザーか?ギモンであるのだが?たまには新情報を流さないとブロガーから嫌われてしまいますよね?                                               コウジロウの独り言

Citroën DS TAXI in Frankfurt on February 1974.

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Citroën DS は、フランスの自動車メーカー・シトロエンが1955年に発表したアッパーミドルクラスの前輪駆動乗用車。この話題でまさか2回目となっていたとは思いもしなかった。同じことを書いてるかもしれませんが、そこを我慢してもう一度見てくださいね。1本スポークのステアリングと特徴的な内装を持つこのクルマは最近のBXぐらいまではデザインは違ったりするもののノーマル車には伝えられてきた。1975年までの約20年間、フランス車の主幹軸を担うモデルとしてあり続け、改良を繰り返しながら合計で、約145万5,000台(うちフランス本国生産は約133万台)が製造されたのだそうだ。そんなクルマがドイツのフランクフルトの駅そばで見かけた。今見たらやたら大きなステアリング・ホイールの1本スポークの位置には「厳密な指定」があるのだそうだ。正面衝突時、ドライバーを車内中心方向にステアリングより逃すためである。直進時において左ハンドル仕様車では、時計で言う「8時」の位置、右ハンドル仕様車では「4時」の位置になるのだそうです。シートはウレタンフォームを用い、ベロア系生地の表皮を与えた贅沢な構造であり当時はこんなにもリラックスさせるシートがある事を初めて味わせてくれていた。日本ではビニールシートが主流なのにである。そしてユニークなハイドロニューマチック・サスペンションとの組み合わせで「雲にでも乗っているような」「船のような」などと形容される独特の乗り心地が実現されたのだそうだ。油圧動力による一種のエア・サスペンション機構を中心に制御する「ハイドロニューマチック・システム」Hydropneumatic System を搭載した特異なメカニズム構成である。ハイドロニューマチック・システムの油圧動力は、パワーステアリングや、ブレーキ増力機構(フロントに当時最先端のインボードディスクブレーキを採用)、クラッチ動作を自動化した半自動式変速機の制御にも利用されており、乗り心地と操縦安定性を高水準なものとなっている。ハッキリ言うと自分はこのクルマには乗って運転したことはないのだが。ありふれた量産車とは言われているのだが45年前に滞在した時は多く見かけたのだが15〜16年前のパリではルノーが主流となっていた記憶がある。エンジンのみが旧型モデルから流用された1.9L・OHVのロングストローク直列4気筒。1960年代にショートストローク型に置き換えられ、排気量も2L~2.3Lクラスに拡大されたのだそうだ。そして水冷OHV直列4気筒のレイアウトは踏襲された。当初発売時、1.9Lで75HP・145km/hだった性能は、1972年の燃料噴射式最終型では2.3L、141HP・188km/hまで向上したのだそうだ。これを手がけた主任設計者は、元航空技術者アンドレ・ルフェーブルAndré Lefèbvre(1894年-1964年)だそうだ。前輪駆動のほか、モノコック構造やトーションバーによる独立懸架機構などの先進的なメカニズムを多数導入していたのだった。ボディパネルは部位により硬軟使い分けられていた。ボンネットフードはアルミ製。屋根部分は低重心化を狙って、当時最新の軽量素材であったFRP(繊維強化プラスチック)を用いた。日本ですぐ後に出現したスバル360も同様な手法だったのだそうだ。形までなる掘って言いたくなるようなクルマでしたね。屋根部分の初期には色が薄く、日光を一部透過するほどだった。後には徐々に不透過性に改められているそうなのだが。ボディデザインを手がけたのは、シトロエンの社内デザイナーで、トラクシオン・アヴァンや2CVのデザインも手がけたイタリア人のフラミニオ・ベルトーニである。ここでもイタリア人が出てくるんですね。DSはフランス政府機関の公用車として広範に用いられ、政治家にも常用する者が多かったのだそうだ。中でもフランス第五共和国大統領シャルル・ド・ゴールは、DSの愛用者の一人であり、あらゆる公式行事に際してDSを利用したことで知られる。よくTVで黒塗りのDSから体を出していたのが印象的だった。ド・ゴールの政策に反対する過激な右派軍事組織「OAS」は彼の暗殺を企て、1962年8月22日、パリ郊外の路上で、移動中のド・ゴール夫妻のDS19を機関銃やサブマシンガンなどで襲撃したのだった。弾丸はド・ゴールの頭をかすめ、リアガラスを砕き、ボディに穴を開け、片方の後輪をパンクさせたが、DSはハイドロニューマチック・サスペンションおよび前輪駆動による無類の安定性と、運転手の優秀なテクニックによって、残る3輪で疾走を続け、速やかに現場を脱出したのが有名なお話だったそうだ。ド・ゴール夫妻は無傷で、OAS側から見れば、襲撃は失敗に終わった。DSの特異なメカニズムが、結果として国家元首をも危機から脱せしめたのである。このエピソードは、フレデリック・フォーサイスの小説をフレッド・ジンネマン 監督が映画化した『ジャッカルの日』(1973年)冒頭でリアルに再現されているそうだ。この作品の冒頭では閣僚を迎えるため官邸の車回しに漆黒のDSが並ぶ豪奢なシーンを見ることもできるのだった。                       コウジロウの独り言

一枚の写真からFoad 20M TM Coupeを探し当てた?

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とにかく、上記のセピア色した四つ切りの紙焼きのテールランプのクルマを探した。1974年2月に欧州旅行した時の写真である。当時は卒業旅行でヨーロッパの美術館巡りをするツアーで、前にも述べたように現地に着くとFreeだった。足を入れた国は、アンカレッジ経由でイギリス・ヒースロー空港そしてイタリアに飛び、そこからバスのツアーが始まった。立ち寄った国が多くありイタリア・スイス・ドイツ・ベルギー・オランダ・フランス・イギリス・バチカン市国までに及んでいた。一つこの写真で気になったのが、イタリアのフィアット・クーペに似ている。(そうでもないかモ?)ただしナンバープレートとがイタリアではないことに気がついたのだ。そこにたどり着くまで一週間以上かかってしまったのである。CGの自動車アーカイブの60・70年のヨーロッパ車をを調べたりしていたところ、やっとグループ親会社のコーダーの金子氏に聞くことが出来たのである。彼はGoogle画像ですぐに探し始めてくれた。NO.プレートからドイツのクルマなのが発覚したのだ。それまでにはスイスのクルマまでをも探していた自分。イタリアのNO.プレートでない事は分かっていたのだが、現在とも若干違っているであろうそのデザインや表示なのだが、NOプレートからはスイス・ベルギー・ドイツ?のいずれかである事は自分でわかってきていた?わからなくもなかったのだ。Foad 20M TM Coupeと彼はすぐに選定してくれた。凄いの一語に尽きる。正式名称=Ford 20 M TS OSI Coupé。ミニチュアカーから入ってる彼はディテールに拘り、選定も鋭かった。アウトサイドのミラーが普通と違うとか、リアブレーキランプの間のこの丸は何?とか?アバウトな全体感で観てる自分とは大違いで視点が違っていた。でもそんなクルマの写真を撮影していた自分も凄かったと改めて思う。先行投資して入社前に2年ローンを組んで旅行した甲斐はあったとつくづく思う。詳細を記載しよう。オフィツィーネ・スタンパッジ・インドストリアリ(Officine Stampaggi Industriali 、OSI)は、元ギアの社長ルイジ・セグレ(Luigi Segre )と自動車部品製造のファーガット(Fergat )出身のアリゴ・オリヴェッティ(Arrigo Olivetti )が1960年にトリノで設立したコーチビルダーだった。のだそうだ。OSIは、ギアから独立したニッチ製品に特化したデザイン子会社を意図しており、元々それまで一品製作を行っていたギア社がフィアット社向けフィアットのボディを量産するために設立した企業だったそうです。最初から一定規模の量産を目指している点で、その他のカロッツェリアとは起源が異なっていた。後年OSIはギアから独立して独自デザインの車を発表するようになったと言われている。この企業は、アルファロメオフィアット、フォードの車を基にしたカスタムビルト車を製造し、短命企業と言わざるを得なかった、のだそうだ。最初の製品の一つはギアに在籍中の若かりし頃のトム・ジャーダ (Tom Tjaarda) がデザインしたイノチェンティ・950 スパイダーもそうであったそうで、イタリア国外で最も知られたOSI製のモデルは、ドイツ・フォードのタウヌス20Mを基にしたフォード・20M TS クーペだけなのかもしれないと言われている。この車はフォルクスワーゲン・カルマンギア Typ 34 を基にしたタイプ3のデザイナーとして知られるセルジオ・サルトレッリ (Sergio Sartorelli) によりデザインされた。約2,200台のフォード・20Mベースのクーペが製造され、2010年の時点でこのうちの約200台前後が現存するといわれている。1968年5月にサルトレッリがOSIのデザインオフィスをフィアットのそれに編入させて業務を清算されたそうだ。OSIはプレス加工品と産業用機器の製造業者として企業活動を続けているのだそうだ。当然、ベルリンの壁がある西ドイツ時代です。      コウジロウの独り言 

フェラーリを銀座の隣町のコインパーキングで発見。

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イタリアのスポーツカーメーカーのクルマを新富町のコインパーキングで発見したのです。こんな珍しいことがあるとは!高価なクルマがコインパーキングのせりあがった板にイタイタしく底打ちされているいる感じは如何なものか?高価なクルマだけになんかかわいそうに見えてくる。新車価格だと2,500万円前後もする。カリフォルニアTフェラーリ Ferrari Califonia T 販売期間は2014年〜2017年。 乗車定員は4名でボディタイプは2ドアクーペカブリオレになる。エンジンは3,855 cc V8 DOHC (ツインターボ搭載)。駆動方式 FR。最高出力は560 PS/7,500 rpmになる。最大トルク755 Nm/4,750 rpm。変速機は7速 + リバース F1 (パドル・シフト)。DCT方式全長 4,570 mm・全幅1,910 mm・全高1,322 mm ホイールベースは2,670 mm 車両重量1,625 kg ハンドル位置は左/右あるそうです。最高速度は316 km/hに達するそうだ。先代はカリフォルニア30から後継ポルトフィーノに、カリフォルニアのビッグマイナーチェンジをしたモデル「カリフォルニアT」である。「T」はターボを意味し、直噴ツインターボを搭載。車幅が1,910mmもあるクルマがコインパーキングにはいってるのがふしぎです。イタリア語のコンプレッソーレ。英語でいうコンプレッサー、つまり過給機のことだそうだ。身近な言い方はターボチャージャー排気ガスの一部を使ってタービンをまわし、圧縮した空気をエンジン内へ送り込むシステムです。フェラーリが実用化したのは80年代の初頭のフォーミュラカーと言われている。聞く事によると、ターボラグのキツいかなりやんちゃなマシンだったものを、排気量が4,297ccから3,855ccへダウンサイジングされたもので、ターボを装備し、出力としては、先代のカリフォルニアの482PSから552PSに引き上げられている。乗りやすくなっている筈と書かれていた。なお、フェラーリのロードカーでターボ車を発売するのはF40以来なんだそうだ。V8エンジンをフロントに搭載するフェラーリのラインナップの中では、ラグジュアリーなキャラクターが与えられたリトラクタブルハードトップモデル。積載性にも配慮され、トランクスルー機構が与えられている。乗車定員は4名。トランスミッションは、ツインクラッチ式7速2ペダルMTが与えられている。エクステリアでは、丸型テールランプにウインカーとバックランプが内蔵された。ブレーキランプはリアエンド下部に設置。マフラーが縦2本配置から横2本となった。新型V8ターボエンジンに代表される様々な最先端技術が導入され、何度も言うが3,855ccのV8エンジンは、最高出力560cv(1リッターあたりの出力はこのクラスのエンジン最高となる145cv/L)を搭載。スペック的にいろんな角度で紹介させて来てしまったが、要はフェラーリには間違いない。そんな高性能の高価なクルマをこんなパーキングにいれて置くのは許されるののでしょうか?              コウジロウの独り言 

最高のクルマ!ランボルギーニ・アベンタドールが東京を走る。

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日本橋の交差点から中央通を皇居方向に曲がろうと颯爽と走り抜ける大好きなクルマランボルギ−ニ・アベンタドール。ウィングがついている事からSなのか?まあ?どうでもいいのかも知れません。アベンタドールなんですから!2011年3月1日より開催されたジュネーヴショー2011に発表された。デザイナーは、フィリッポ・ペリーニ。エンジンフードカバーのデザインは、カメムシの外観から発想を得たものらしい。発想が下品なので昆虫と言っておきたい。フロントやリア周りのデザインは、2007年のムルシエラゴ・ベースの車・レヴェントンと、2008年のコンセプトカー・エストーケと共通性を感じさせた。 カーボンファイバーモノコックを採用し、サスペンションはプッシュロッド式、エンジンは新設計のV12となっている。トランスミッションはマニュアルを廃止しセミオートマのみとなった。V-12エンジンを搭載。0-100km/h加速は2.9秒以下、最高速度は350km/h以上。ハンドリングの向上に注力した設計になっているという。なんと4WD。前後の駆動力配分は、0:100から40:60まで変化する。センターコンソールにパフォーマンスセレクターがあり、一般公道での走行に適した「ストラーダ」モード、シフトフィールが鋭くなる「スポーツ」モード、サーキット走行に適した「コルサ」モードの3種類から走りを選択できるらしい。かつてニッサンのアテーサなんか問題にならない位フレキシビティ対応のようだ。ただイタリア車だけに壊れないか心配になるが?2013年、ドバイでパトカーに採用されたのだそうだ。日本国内では2011年9月から販売された。ランボルギーニ ジャパンは東京都の国立競技場で記者発表会を開催したのだそうだ。2011年11月29日のこと。研究開発担当ディレクターであるマウリツィオ・レジャーニは「アヴェンタドールは競合他社の2世代先を行くもの。過去からのものをすべて否定し、再提言してゼロベースで作った」と、エンジン、トランスミッション、サスペンション、ボディーのすべてが新開発であることをアピールしていたらしい。 日本での価格は、当初4100万2500円だったが2012年8月1日に4197万3750円と改定された。但し、この写真にあるようなバージョンを手にしたいと思って4000万円用意しても直ぐに入手出来ないのだそうだ。youtubeの中古車情報を見ても、なんと7000万円出しても手に入らないと言われてるらしい。バリエーションがあっても品薄なのだそうだ。LP750-4 スーパーヴェローチェが写真のクルマか?やはりサイドポンツーンが違う!LP740-4 アヴェンタドールSではないか?2016年に発表されたアヴェンタドールの新世代モデルがS。新技術が多く採用、エクステリアは大幅な改良が加えられ、フロントのダウンフォースは130%も増加していると言われている。ランボルギーニのシリーズ・モデルとして初めて4輪操舵システムを採用している。サスペンションには、磁性流体ダンパーを使った「磁気レオロジー・サスペンション」が採用された。さらに、前後輪に駆動力を配分する4輪駆動システムや、粘性の検知度が高まったというESC、3段階に可変するリア・ウイングを備えたアクティブ・エアロダイナミクスなども含め、上記の電子制御システムが全て、新たに採用された「ランボルギーニ・ディナミカ・ヴェイコロ・アッティーヴァ」と呼ばれる制御ユニットで統合管理されると言う。ドライビング・モードには新たにドライバーの好みに応じてこれらの組み合わせをカスタマイズできる「EGO」モードが追加されたのだそうだ。色々な事を書いて来たが、音とそこで巻上る風は本当にランボルギーニ・アベンタドールなのだ。フェラーリはあったこともあったがさすがにアベンタドールのような車は我がマンションの駐車場にはいない。完成度の高いフェラーリに比べ、じゃじゃ馬なイメージのランボ!本当に京橋に向かって走って行った中央通に夏の熱風を予感させてくれた。  コウジロウの独り言 

Citroen DSの出会いはフランクフルトからパリのセーヌ川に架かる橋の袂へ。

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Photo by Kojiro

車名のシトロエン・DSは、フランスの本国では “スィトホエン「デ・エス」” と発音されるそうです。(ここからはウィキペディアから引用させて頂きます)語源は「開発コードの省略形」とも「Désirée Spéciale(デズィへ スペシアレ)」(特別な憧れ)の略とも言われるが詳細は不明である。同じ発音の「女神」という意味のフランス語「déesse(デエス)」を意味しているという説も根強いらしいのだが結局は定かでない。1955年から1975年までの約20年間、フランス車の主幹軸を担うモデルとして第一線にあり続け、改良を繰り返しながら合計で、約145万5,000台(うちフランス本国生産は約133万台)が製造されたのだそうだ。写真の説明をしよう!写真は何故か1974年のドイツ・フランジュフルトなのだ。そのタクシーにシトロエン・DSが使われていたのである。そして旅行として最後の紀行地パリのシャンゼリゼと市街地を結ぶ橋。雪の降る中に後ろのドアを凹ましたDSがいた。ホィールベースが長い証明なのか運転席の後ろをこすったのかもしれませんね。あとのブログでも述べるが当時としては極めて先進的・前衛的な空力デザインと、油圧動力による一種のエア・サスペンション機構を中心に統括制御する「ハイドロニューマチック・システム」」Hydropneumatic System を搭載した特異なメカニズム構成で知られている。ハイドロニューマチック・システムの油圧動力は、パワーステアリングや、ブレーキ増力機構(フロントに当時最先端のインボードディスクブレーキを採用)、クラッチ動作を自動化した半自動式変速機の制御にも利用され、乗り心地と操縦安定性を高水準なものとした。その実、ごく一般的な量産車として企画開発され、本国フランスではタクシーや救急車などの特装車にも酷使されるような、ありふれた量販車種であったとされている。でも、日本のカローラやクラウンのようにそこらじゅうに走っていた感覚はなかった。エンジンのみが旧型モデルから流用された1.9L・OHVのロングストローク直列4気筒で、1960年代中期に新しいショートストローク型に置き換えられ、排気量も2L~2.3Lクラスに拡大されたが、水冷OHV直列4気筒のレイアウトは踏襲された。当初発売時、1.9Lで75HP・145km/hだった性能は、1972年の燃料噴射式最終型では2.3L、141HP・188km/hまで向上した。1999年には、全世界の自動車評論家・雑誌編集者等の意見を集めて選考された「20世紀の名車ランキング」であるカーオブザセンチュリーにおいて、1位のフォード・モデルT、2位のミニに次ぐ第3位の「偉大な自動車」という評価を得ていた。シトロエンは、古くは1950年代の「DS」からはじまって、「Ami」「CX」など、丸みを帯びた宇宙船のようなクルマをクリエイトしてきた。その流れを変えさせたのがベルトーネ時代のマルチェロ・ガンディーニ・デザイン。シトロエンBX。これを自分はこの後、乗るのであるが。直線を基調としたファストバックスタイルの大きなウインドウ、グリルのないツルッとした鉄仮面ノーズ。ブリスターフェンダーとはまた違う半分隠れたリアタイヤなど、いま見ても斬新なスタイリング。その中でGTIの上を行く最高峰のBX16Vに乗っていた自分。くれぐれもBX16VはGTIの名前は付きませんのでよろしく!と前のブログにしつこく書いていたのには自分でもちょっと恥ずかしいのだが!DSのボディは全長4.81m、全幅1.8m、全高1.47mという、1950年代中期のヨーロッパ車としては異例の大型。そのエンジンは初期形で1.9L、最終形で2.3Lに過ぎなかった。車重は1.2t〜1.3tと軽量なため、動力性能に大きな不足はなかったという。ボディデザインを手がけたのは、シトロエンの社内デザイナーで、トラクシオン・アヴァンや2CVのデザインも手がけたイタリア人のフラミニオ・ベルトーニとされている。ボディ部分は最低限の強度骨格のみを構築して、その外側にパネルを装着する「スケルトン構造」。この手法に関してあとで書くブログを見てもらうことにして、ただ屋根部分の初期には色が薄く、日光を一部透過するほどであった。後には徐々に不透過性に改められた。とにもかくにも不思議なクルマだったことは確かなことである。   コウジロウの独り言