W124メルセデスの空力は0.29って本当?それはリヤガラスのモールの処理から?

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メルセデスベンツW124の空力Cd値:0.29はないだろうって、ネット上で書かれてる人がいる。元ユーザーとして反論を述べたい。EクラスだからSクラスと比較してベンツとは言えないなんて人もいますよね。それは間違いです。メルセデスは腐ってもメルセデス。亡くなった親父の口癖でした。写真はEクラスが左。右が国産のケンメリ。年式は10年近く異なってますが解りやすい写真なので見てください。この写真でお分かりの様にメルセデスW124のトランクとリヤガラスのモールの処理なんです。あのカウンタックだってCD値:0.47なんですから?と言われます。が突起の問題と流面処理の仕方でCD値が変わってるはずです。カウンタックは空気取り入れ口が前方にむき出しになってます。その後メルセデスはW201CD値:0.33からW202のCD値:0.30そしてW203のCD値:0.26までどんどん190クラスのCD値を下げ、SクラスCD値:0.24まで達してます。図り方が異なると行っても、トヨタプリウスも頑張ってモデルチェンジ前のクルマでCd値:0.25、GTRはCd値:0.26と国産も頑張ってます。マツダアクセラCd値:0.26。今のクルマで言うと車体のアンダーカバーの処理が考慮されたり、フロントグリルを小型化したりまさしく空気抵抗を少なくし、流面型をダウンホースでどう押さえるかと言った多種多様な配慮がなされている。当時のメルセデスEクラスはクレイモデルの段階のよいところをそのまま市販車に出来たから素晴らしい値を得られていたのでは。タクシーとして本国で使われてたり、ツーリングカー選手権で常にトップに君臨してた事を思うと、ドイツのアウトバーンを快走していたのはあたりまえのクルマ。今ではそれが引き継がれ、CLAがCd値:0.23を確保。最近のベンツの空力は特に凄い様です。自分のEクラスは9万6千キロでミッションが壊れるまで走りを堪能しました。乗っていた感触は同クラスのBMWよりも軽く、メルセデスはアルミを足回りに使用するなどどっしりしながら軽やかな印象だった。各所に細かく配慮したクルマ、メルセデスベンツEクラスはリヤガラスの処理にも配慮した最高のクルマだったと言えましょう。残念なのはCd値が素晴らしいCLAの形は好きになれないんです。だからクルマはCd値だけでは語れないのです。BMWVOLVOのデザインに最近のメルセデスは本当に劣ってる様に思えてなりません。

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憧れのイソ リヴォルタ・フィディアが42年前現役で存在してた。

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イソの4ドアサルーンは1967年のフランクフルト・ショーでデビュー。ベルトーネではなくギアに在籍してたジウジアロウのデザインだった。当時はマセラッティ・クアトロポルテがライバル。シボレーエンジンの5.4リッター、やがて5.7Lそして5.8L-355psまでの性能を誇った。それがイタリアの街中で見れたなんてなんと幸せな事だろうか!日本では羊の皮を着たオオカミとスカイライン2000GTが言われていた時代。このビックサルーンカーの足回りは前輪ダブル?ウィッシュボーンと後輪ドディオンダブル?トレーディングアームと素晴らしかった。見るからに優雅なシルバーフォックスの毛皮を着たライオンなのか?上手く表現出来ていないが恐ろしいパワーの持ち主。タイアホイールサイズは205の15と昔ながらのものだが最高峰のサルーンとしての存在価値は高かった。ロールス程気張らない優雅なスーパースポーツサルーン。74年生産終了まで200台しか生産されておらず、現役の時の写真は珍しい。個人的にも希少価値のあるものだと思われます。この後、3回しかイタリア旅行をしていないからこんなシーンにあうことはなかった。このクルマの駐車状況をみてください。前のクルマ(たぶんシムカorボルボ?)との間隔がまるでない。こんな何千万円もするクルマなのにバンパーをぶつけてでていくのでしょうか?イタリアだからといって当時(1974)ミラノ・ローマでもスーパーカーは見る事は殆どなかった。これからもイソ・リヴォルタという名前だけでも覚えておいて下さい。ウィキペディアよりもイソの記憶は自分の方が上かもしれません。どこかでこんな光景を見かけた。なんて方がいらしたらお互いに知らせあいましょうね!

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井の頭公園の鴨は何処から来て優雅な時間を過ごしてるのでしょうか?

f:id:kohyusya:20161111141955j:plainちょっと息抜きしたくて、かわいい鴨達のお話をしてみたくなりました。実家が武蔵野市だった為、井の頭公園によく散歩にでかけたものです。この写真は数十年前、井の頭恩賜公園の池の片隅に暖かい日差しを浴びていたカルガモ達を撮ったもの。僕が近づいて行っても動かない。かなりそばにいて撮影をさせてくれていた。当時カメラはキャノンF-1の35mmカメラのFD24mmの広角レンズを使用して、紙焼きは月光の4号を使って硬調に仕上げていた。もちろんフィルム現像から紙焼きまで自分でやっていた。あ、そう、フィルムはネオパンSSS。トライxにはいかなかった。カルガモオシドリ、ハシヒロガモ、そしてキンクロハジロカイツブリ等いろいろ見受けられる公園。水上動物園もあるので中にはチャッカリ動物園の餌を食べているものもいる。餌やり禁止と池の周りにはかつてあった。コイには餌やりをしてる人をたまにみるものの鴨にえさをやってる人は見かけない。かつて近くに山本有三が住み、太宰治が生きていた町。今や隣には宮崎駿ジブリ美術館まで出来、多くの人が吉祥寺あるいは三鷹駅からのバスで乗降してるエレガントな町。そんな人たちにちょっとでも時間を割いてみて頂けたら嬉しい、井の頭公園池脇の鴨たちと過ごして観て欲しい。遠くユーラシア大陸からやってくるものもいると言うから驚き!寒過ぎない日本の東京近郊に鴨は飛来するそうです。今の住まいは千葉県。谷津の干潟に近いところに住んでいますが、今やこんな優雅な時間を過ごせていません。時間が空けば、ショッピングや洗車。そしてスポーツジムとDVD鑑賞。人に言うだけではなく、遠くから来ている苦労をかけて飛来して来てる鴨達と谷津干潟でもこんな優雅な時を過ごしてみたいと思う今日この頃です。          コウジロウの独り言

40年前のオールズモビル・トロネードは幅2mの斬新なFF車だった。

1974年2月。卒業旅行でヨーロッパツアーに参加してた自分。シトエンBX同様これはかっこいいと思い、シャッターをきった大きなクルマ。オランダかイタリアのどちらか?解る人がいたら教えてほしい。オールズモビル・トロネード(Oldsmobile Toronado)。

f:id:kohyusya:20161109192659j:plainGMのオールズモビルで製造された2ドアクーペであるのが最近解った。このクルマにはライトがみあたらない。凄さはデザインだけではなかったようだ。"(Toronado)"には特別な意味は無く、1963年シボレーコンセプトカーのために考え出された名前だったそうだ。フォード・サンダーバードビュイック・リヴィエラと競合するオールズモビルフルサイズスペシャリティカーとして企画されたトロネード。アメリカ合衆国で大規模に量産された最初の前輪駆動(FWD)車つまりFFとして歴史的に記憶されている。トロネードはリヴィエラとエルドラドとはその28年間の歴史でEボディ・プラットフォームを共有し続けたが、ビュイックリヴィエラは1979年モデルまで前輪駆動に転換しなかったらしい。FRが好きだと自負していた自分の所有してたクルマがスカイライン以降W-124以外はすべてFFというのも面白い。それにしても2m近い幅のクルマで前輪駆動とは驚いたものだ。デザインはデビット・ノースとされているが、GMのデザイン部門の長ビル・ミッチェルなども開発に携わっていたらしい。大容量のターボ=ハイドラマチック・オートマチックトランスミッションや4バルブキャブレター。Aピラー下の三角窓をドラフト=フリー換気システムにより廃した事により風切り音を激減させていたのには驚かされる。動力機構もコンパクトに変速機を一体化してエンジンルームに小さくまとめる技術屋さんがかなり頑張っていた一台。2ドアなのに後席からの乗り降りが楽なドアノブをオプションで付けられたり、3人並んでもフラットな床が確保されていたらしい。ビルトインされた機能と相まってこのクルマが度デカいにも関わらずこの時代でありながら、繊細な設計がされていたのには頭が上がらない。単にクルマの外装は格好だけではなく本当に卓越した設計デザインから生まれていた事の事実を改めて感じた。当時のアメ車は凄かった!      

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あのシトロエンBXは何処へ

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僕がパリ・シャンゼルゼ通りで見たシトロエンBXは日本では見たことのないエアロパーツを付けた銀色のスポーツバージョンだった。パリの石畳にとてつもなくシルバーメタリックの輝きをきらびやかに、とても格好いいスタイルだった。自分が乗っていたのは2年間。首都高速事故に巻き込まれ大破していなっかったら、もう少し乗ってたはず。その頃は全く知らなかった。BXのデザイナーが、イタリアのカロッツェリアベルトーネに在籍していたマルチェロ・ガンディーニだったこと。ランボルギーニカウンタックランチアストラトスを代表とするスーパースポーツカーのスタイリングデザインを手がけている。いずれも直線と曲線を巧みにデザインし、見る人に独特のイマジネーションを感じさせ仕上げるカーデザインの魔術師。カウンタックではとてつもない未来感とスピーディさを、ストラトスでは異次元のスピード感をスタイリングで醸し出させてくれる。シトロエンBXは近未来感の都市の乗り物としてわれわれに表現してくれていた。但し、このBXがボルボへのプレゼンダミーで落とされたモデルと知ったら貴方だったらどう思いますか?やがて自分はW124を経由してボルボ850のユーザーにもなるのですが!少なくともボルボ970クーペなどにもデザインの流れがベルトーネ時代のガンディーニ自身の木の枝程度かもしれませんが繋がってるいるのは事実のようです。何といっても、そのクルマ達のスタイリングが特徴的です。シトロエンは、古くは1950年代の「DS」からはじまって、「Ami」「CX」など、宇宙船のようなクルマを作ってきましたが、そういった流れを変えさせていたのが感じさせるガンディーニデザイン。シトエンBXは直線を基調としたファストバックスタイル、大きなウインドウ、グリルのないツルッとした鉄仮面ノーズ、フェンダーに半分隠れたリアタイヤなど、いま見ても斬新なスタイリング。その中でGTIの上を行く最高峰のBX16Vに乗っていた自分。フランスのソファを連想させるシート。左ハンドルのマニュアルシフト。スコーンスコーンと入るそのギヤノイズに小気味好さを感じていたのも記憶に新しい。ちょっと振り向いたその時、あのシトロエンBXは町中からは消えて今はいません。あの頃のBMW320やベンツ190E、オースチン・ミニやワーゲンは未だに走ってます。BXはいったい何処に行ってしまったのでしょう?あのミライ的なファミリーカー・シトロエンBXが見られなくなってさみしい限りです。   コウジロウの独り言

チンクェチェントが元気な限りヨーロッパの風景は変わらない。

 

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チンクェが5をあらわし、チェントが100の意味を持つフィアット500。フィアットチンクェチェントは何時頃から走ってたのでしょうか?当初のネーミングこそ、排気量が500ccだから「フィアット500」となったのですが、その意味が?途中から変わった。

新型フィアット500の排気量は1200ccと1300ccと1400ccとなっているからです。数字を含めたままブランド名になってしまったんです。(ご存知の方も多いとは思いますが)フィアット500 = FIAT Cinquecento 。初代は1936年に発表された2人乗りの超小型車。1955年まで製造。小型車ではあるが、発表当時としては高度なメカニズムを多数取り入れ、戦前・戦後。を通して成功を収めた。総計約60万台が生産された。

2代目も正式名称はFIAT NUOVA 500(新フィアット500)もと言われたが、一般にはイタリア語で500を意味するチンクェチェント(Cinquecento)で語れた。初代のFRにたいしてRR方式を採用方式を採用しスペース効率を図った。

ヨーロッパの40年以上前の写真である。シトエン2CVもそうである様に今も走り続けているヨーロッパの旧車達。名前も古き良き時代を思い残しているのか?、決してそうではなさそうだ!

戦前・戦後にわたって生産され日本と同じ敗戦国なのに名前はそのまま残され現在まで愛され続けている車たち。ハイブリットやダウンサイジングタ−ボと、如何にも環境にやさしいと格好を付けて新しいものに興味を魅せるどこかのお国柄と異なる、この国民性は何処からやってくるのであろうか?だから、その反動がフェラーリランボルギーニというデザインに表現されるのか。

本当の国民性は何処にあるのか解らなくなってくる。但しどちらの大きな意味でのデザインは100年単位のキャパシティをもってると言えましょう。FIAT500がハイブリットになった時。ライトサイジングフィアットなんて風景は変わっていくのでしょうか?

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マセラッティ・ギブリの室内に吹いて来たサハラ砂漠の烈風。

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1966年に発表、デザインはカロッツェリア・ギア時代のジョルジェット・ジウジアーロによるもの。あのスタジオ・ジブリは世界的にはギブリとなっているのはご存知ですよね。日本では読み方を間違えてジブリとなったらしい。(この事は最近知った)

スタイリングは、背の低いプロポーション、ロングノーズ、ショートデッキ、ファストバックスタイルマセラティとしては初のリトラクタブル・ヘッドライトを採用。

数十年前、初代マセラッティ・ギブリを操り吉祥寺から江ノ島までケン&メリと2台で出かけた。左ハンドルを運転出来たのは、当時5Lのアメ車も所有してた自分(正確には父親所有)とオーナーだけである。オーナーは走ってる姿を外側からから見てみたいと別のクルマに。環七では陸橋を渡るたびにカチッ、カチッとリヤのNOプレートかマフラーを擦ってる音がした。

 

イタリア車なのにドイツから並行輸入をして6カ月もかかって入手したため、フェンダーにアウトサイドミラーをつけられてしまった。

やたらガスを食った気がした。確か40Lタンクが2器ついており、走りながら切替が出来たような記憶がある。

問題があった。ラジオはイタリアかドイツの放送局のチューナーで、一局しか入れかった。もっとヤバかったのが5月の初夏に近い暖かい気候なのに、エアコンディショナーのやり方が解らず、サハラ砂漠の烈風がマセラッティギブリの室内に吹いて来てたからだ。2時間ぐらいたっただろうかコンビニ(当時は7−11ぐらいしかなかった)に入ろうと歩道に入ろうとしたら、またガリガリと先端の方から音がし、コンビニの駐車場はあきらめた。.汗ダクダクのドライバーにはクラッシックコークがよく似合った。どこまで努力すれば「かっこよくかっこいいクルマに乗れる」んでしょうかね?