立山とは雄山(3,003 m)を含む大汝山(3,015 m)、富士ノ折立(2,999 m)の3つの峰の総称である。

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Photo by Kojiro

暑くなってきた今日この頃ですが思い出の写真がアルバムから出てきた。1998年だから今から21年お前の7月。転職してやっと落ち着いてきた頃なのか?冒険をしてみたい気持ちはあったのだが、なすがまま。妻のご両親特に今は亡くなった義父がスケジュールを綿密に企て、8人を率いていたのだから素晴らしいに尽きる。本人は片肺がなかったからか雄山登頂はできなかったのだが、皆を無事成功させたのだから凄い。そして旅費も払ってくれていた。頭が上がらない。さて大町市扇沢より立山黒部アルペンルートトロリーバス、ケーブル、ロープウェイ等乗り継いで)室堂へ。約2時間かかったか?耳はまだ大丈夫だが、若干あくびが出る。室堂より登山をスタート。一ノ越山荘で一泊し、雄山(3003m)へ翌朝向かう。岩場はまだ良かったのだが、細かい岩たちがゴロゴロ落ちて崩れてきてるような尾根を登っていく。怖いというよりも上へ上へとなぜか向かう気力が不思議なくらい。我が子と妻そして妻のご両親。そして義理の妹夫婦、甥っ子二人の9人。クルマの旅が好きな自分が登山と本格的なところに来たのは何回めだろうか?重い腰を上げてこの登山に参加したのは、費用の大半を義理の両親が払ってくれていたからなのか?高山病の経験のある自分はスプレー状の酸素携帯ボンベを持ち、3000m 級の山に登ったのだ。久々だった。そして子供にもいい思いをさせたかったからという思いもあった。また黒部ダムは2回めであったのだがその先の山に登ったことはなかった。剱岳山頂から回ってくるのが登山家のやり方なのだろうが、自分たちのパーティはひたすら雄山をめざしていた。途中の山小屋で一泊し、次の朝、雄山へと向かった。その山小屋がなんていう名前だったかは覚えていないと言いながら前述している一ノ越山荘。室堂から登って途中にある山荘である。富山側からのぼってきたのではなく、あくまで黒部側からの登山だった。

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Photo by Kojiro

そう言えば行きは新宿都庁近くからバスで向かったのだった。車中の登山家のおばさんたちに「そんな靴で登るんだ?」と言われ、自分はホーキンスの登山靴。子供達はハイカットのスニーカー。軽装だと馬鹿にされてもいた。ことを思い出す。剱岳鹿島槍ヶ岳とならび、日本では数少ない氷河の現存する山である。上の縦の写真に見えているのが氷河。よく見ているとそんな大地がかつてトレッキングをした車山周辺で地面が白い小さな虫たちに覆われていたことを思い出し、虫たちから生まれてきてるようにも思えてきたりもした。標高3003mの主峰雄山の立山連峰日本三霊山に数えられ、北にそびえる劔岳と共に日本百名山に数えられている。かっては女人禁制の地であった立山連峰も、今では標高2450mの室堂まで車で入れるようになり、気軽に霊山を楽しめるようになったのである。雄山には立山の神様、となりの大汝山には白山の神様、その北の、富士ノ折立では富士山の神を祀り、日本の三霊山を兼ね備えて来たとある。雄大なその風景は昔から多くの人達を魅了して来ており、春の残雪の風景から夏の山岳登山、秋の紅葉の季節といつも賑わいを見せているそうだ。※追記ですが山頂付近で自分の子供は眠くなりお腹も痛いと言い出し、あと一歩のところで寝込んでしまった。なぜか夫婦2組だけが山頂の神にお賽銭を置いてきた記憶だけが残っている。自分が大丈夫だったのが不思議である。        コウジロウの独り言