二ケは衣装をはためかす風の攻撃に耐える、勝利の女神。

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Photo by Kojiro

船の船首に立つ羽を生やした女性の姿で表れている。1974年やはり2月のこと。大雪のパリの地下鉄を出てグショグショの革靴でルーブルに入った。今やファッションデザイナーになって遠い存在なってしまったY氏と二人きりだった。雪のせいかそんなにも混んではいなかった。『サモトラケのニケ』像に会ったのは入ってすぐにだった。あのスタチュウ(彫像)たちと違い、壮大な印象の彫像である。『サモトラケのニケ』(フランス語: Victoire de Samothrace, 英語: Winged Victory, ギリシャ共和国サモトラケ島(現在のサモトラキ島)で発掘され、現在はルーヴル美術館に所蔵されている勝利の女神ニケの彫像である。羽根を付けた勝利の女神は、サモトラキ島にあった、偉大なる神々の神殿に張り出していた船の船首に立っていたとされる。この建造物は、前2世紀初頭の海戦の勝利を記念するため、ロードス島民が奉納品として献上したものと思われている。姿勢の劇的効果、動きの力強さ、力動感あふれる襞をもつヘレニズム時代のこの作品は、クラシック時代の基準と交わりながら、ペルガモンのバロック的彫刻を予兆するのだそうだ。この彫像についての古文書はひとつも発見されていないため、様式および傍証から年代を推定することしかできないのだそうだ。次に、ロードス島のリンドスで発見された船を象った浮き彫りの形態と台座の大理石の由来から、彫像がロードス島のものであり、コス島、シデ島、あるいはミヨニソス島での勝利を祝したものと考える説があるのだそうだ。年代はそれぞれ紀元前261年頃、紀元前190年、おなじく紀元前190年である。そんな前の彫刻なのになぜこんな迫力迫ってくるのだろうか?美ヶ原高原美術館(長野県上田市)にレプリカがあり見たことが記憶にあるのだが、このパリのニケ像は本当に何十年も経ってるのに記憶に新しいのである。パリは2回しか訪れてない。イタリアの3回に比べちょっと劣るだけなのだが。イタリアのミケランジェロの大理石彫刻よりもかなり大きい気持ちがする。大プリニウスにも言及されている。チモカリスの息子ピトクリトスが彫刻家として活動していた時期に符合する。ピトクリトスはリンドスのアクロポリスの彫像を手がけたことでも知られているとの事。そしてシャンポワゾは1892年、彫像の直近からロードス島ラルトス産の大理石の断片を発見したのだが、これには「…Σ ΡΟΔΙΟΣ / …S RHODIOS」という表記があり、「ロードスのピトクリトス」に符合する可能性を示すものとして注目されたのだった。しかしながら、この断片とニケの彫像が置かれていたエクセドラ(半円状に突出した建築部位)の関係は明らかではなく、とりわけ、この断片の小さな凹部はそれが小像の台座であることを物語っているといわれている。他に、この彫像がアンティゴノス2世ゴナタスの奉納物であるとする説もある。すなわち紀元前250年代のコス島でのプトレマイオス2世に対する勝利の記念物である。アンティゴノス2世はデロス島に彫像を建立していることから、アンティゴノス朝が伝統的に守ってきた聖域であるサモトラケ島にも同様なことを行っていたと考えることは可能と言われてる。日本のM美術大学やT美大、J美大などにもレプリカはあり、見るものを楽しみの時間で包んでくれる。引用は: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』               コウジロウの独り言