Citroën DS TAXI in Frankfurt on February 1974.

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Photo by Kojiro

Citroën DS は、フランスの自動車メーカー・シトロエンが1955年に発表したアッパーミドルクラスの前輪駆動乗用車。この話題でまさか2回目となっていたとは思いもしなかった。同じことを書いてるかもしれませんが、そこを我慢してもう一度見てくださいね。1本スポークのステアリングと特徴的な内装を持つこのクルマは最近のBXぐらいまではデザインは違ったりするもののノーマル車には伝えられてきた。1975年までの約20年間、フランス車の主幹軸を担うモデルとしてあり続け、改良を繰り返しながら合計で、約145万5,000台(うちフランス本国生産は約133万台)が製造されたのだそうだ。そんなクルマがドイツのフランクフルトの駅そばで見かけた。今見たらやたら大きなステアリング・ホイールの1本スポークの位置には「厳密な指定」があるのだそうだ。正面衝突時、ドライバーを車内中心方向にステアリングより逃すためである。直進時において左ハンドル仕様車では、時計で言う「8時」の位置、右ハンドル仕様車では「4時」の位置になるのだそうです。シートはウレタンフォームを用い、ベロア系生地の表皮を与えた贅沢な構造であり当時はこんなにもリラックスさせるシートがある事を初めて味わせてくれていた。日本ではビニールシートが主流なのにである。そしてユニークなハイドロニューマチック・サスペンションとの組み合わせで「雲にでも乗っているような」「船のような」などと形容される独特の乗り心地が実現されたのだそうだ。油圧動力による一種のエア・サスペンション機構を中心に制御する「ハイドロニューマチック・システム」Hydropneumatic System を搭載した特異なメカニズム構成である。ハイドロニューマチック・システムの油圧動力は、パワーステアリングや、ブレーキ増力機構(フロントに当時最先端のインボードディスクブレーキを採用)、クラッチ動作を自動化した半自動式変速機の制御にも利用されており、乗り心地と操縦安定性を高水準なものとなっている。ハッキリ言うと自分はこのクルマには乗って運転したことはないのだが。ありふれた量産車とは言われているのだが45年前に滞在した時は多く見かけたのだが15〜16年前のパリではルノーが主流となっていた記憶がある。エンジンのみが旧型モデルから流用された1.9L・OHVのロングストローク直列4気筒。1960年代にショートストローク型に置き換えられ、排気量も2L~2.3Lクラスに拡大されたのだそうだ。そして水冷OHV直列4気筒のレイアウトは踏襲された。当初発売時、1.9Lで75HP・145km/hだった性能は、1972年の燃料噴射式最終型では2.3L、141HP・188km/hまで向上したのだそうだ。これを手がけた主任設計者は、元航空技術者アンドレ・ルフェーブルAndré Lefèbvre(1894年-1964年)だそうだ。前輪駆動のほか、モノコック構造やトーションバーによる独立懸架機構などの先進的なメカニズムを多数導入していたのだった。ボディパネルは部位により硬軟使い分けられていた。ボンネットフードはアルミ製。屋根部分は低重心化を狙って、当時最新の軽量素材であったFRP(繊維強化プラスチック)を用いた。日本ですぐ後に出現したスバル360も同様な手法だったのだそうだ。形までなる掘って言いたくなるようなクルマでしたね。屋根部分の初期には色が薄く、日光を一部透過するほどだった。後には徐々に不透過性に改められているそうなのだが。ボディデザインを手がけたのは、シトロエンの社内デザイナーで、トラクシオン・アヴァンや2CVのデザインも手がけたイタリア人のフラミニオ・ベルトーニである。ここでもイタリア人が出てくるんですね。DSはフランス政府機関の公用車として広範に用いられ、政治家にも常用する者が多かったのだそうだ。中でもフランス第五共和国大統領シャルル・ド・ゴールは、DSの愛用者の一人であり、あらゆる公式行事に際してDSを利用したことで知られる。よくTVで黒塗りのDSから体を出していたのが印象的だった。ド・ゴールの政策に反対する過激な右派軍事組織「OAS」は彼の暗殺を企て、1962年8月22日、パリ郊外の路上で、移動中のド・ゴール夫妻のDS19を機関銃やサブマシンガンなどで襲撃したのだった。弾丸はド・ゴールの頭をかすめ、リアガラスを砕き、ボディに穴を開け、片方の後輪をパンクさせたが、DSはハイドロニューマチック・サスペンションおよび前輪駆動による無類の安定性と、運転手の優秀なテクニックによって、残る3輪で疾走を続け、速やかに現場を脱出したのが有名なお話だったそうだ。ド・ゴール夫妻は無傷で、OAS側から見れば、襲撃は失敗に終わった。DSの特異なメカニズムが、結果として国家元首をも危機から脱せしめたのである。このエピソードは、フレデリック・フォーサイスの小説をフレッド・ジンネマン 監督が映画化した『ジャッカルの日』(1973年)冒頭でリアルに再現されているそうだ。この作品の冒頭では閣僚を迎えるため官邸の車回しに漆黒のDSが並ぶ豪奢なシーンを見ることもできるのだった。                       コウジロウの独り言