Citroen DSの出会いはフランクフルトからパリのセーヌ川に架かる橋の袂へ。

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Photo by Kojiro

車名のシトロエン・DSは、フランスの本国では “スィトホエン「デ・エス」” と発音されるそうです。(ここからはウィキペディアから引用させて頂きます)語源は「開発コードの省略形」とも「Désirée Spéciale(デズィへ スペシアレ)」(特別な憧れ)の略とも言われるが詳細は不明である。同じ発音の「女神」という意味のフランス語「déesse(デエス)」を意味しているという説も根強いらしいのだが結局は定かでない。1955年から1975年までの約20年間、フランス車の主幹軸を担うモデルとして第一線にあり続け、改良を繰り返しながら合計で、約145万5,000台(うちフランス本国生産は約133万台)が製造されたのだそうだ。写真の説明をしよう!写真は何故か1974年のドイツ・フランジュフルトなのだ。そのタクシーにシトロエン・DSが使われていたのである。そして旅行として最後の紀行地パリのシャンゼリゼと市街地を結ぶ橋。雪の降る中に後ろのドアを凹ましたDSがいた。ホィールベースが長い証明なのか運転席の後ろをこすったのかもしれませんね。あとのブログでも述べるが当時としては極めて先進的・前衛的な空力デザインと、油圧動力による一種のエア・サスペンション機構を中心に統括制御する「ハイドロニューマチック・システム」」Hydropneumatic System を搭載した特異なメカニズム構成で知られている。ハイドロニューマチック・システムの油圧動力は、パワーステアリングや、ブレーキ増力機構(フロントに当時最先端のインボードディスクブレーキを採用)、クラッチ動作を自動化した半自動式変速機の制御にも利用され、乗り心地と操縦安定性を高水準なものとした。その実、ごく一般的な量産車として企画開発され、本国フランスではタクシーや救急車などの特装車にも酷使されるような、ありふれた量販車種であったとされている。でも、日本のカローラやクラウンのようにそこらじゅうに走っていた感覚はなかった。エンジンのみが旧型モデルから流用された1.9L・OHVのロングストローク直列4気筒で、1960年代中期に新しいショートストローク型に置き換えられ、排気量も2L~2.3Lクラスに拡大されたが、水冷OHV直列4気筒のレイアウトは踏襲された。当初発売時、1.9Lで75HP・145km/hだった性能は、1972年の燃料噴射式最終型では2.3L、141HP・188km/hまで向上した。1999年には、全世界の自動車評論家・雑誌編集者等の意見を集めて選考された「20世紀の名車ランキング」であるカーオブザセンチュリーにおいて、1位のフォード・モデルT、2位のミニに次ぐ第3位の「偉大な自動車」という評価を得ていた。シトロエンは、古くは1950年代の「DS」からはじまって、「Ami」「CX」など、丸みを帯びた宇宙船のようなクルマをクリエイトしてきた。その流れを変えさせたのがベルトーネ時代のマルチェロ・ガンディーニ・デザイン。シトロエンBX。これを自分はこの後、乗るのであるが。直線を基調としたファストバックスタイルの大きなウインドウ、グリルのないツルッとした鉄仮面ノーズ。ブリスターフェンダーとはまた違う半分隠れたリアタイヤなど、いま見ても斬新なスタイリング。その中でGTIの上を行く最高峰のBX16Vに乗っていた自分。くれぐれもBX16VはGTIの名前は付きませんのでよろしく!と前のブログにしつこく書いていたのには自分でもちょっと恥ずかしいのだが!DSのボディは全長4.81m、全幅1.8m、全高1.47mという、1950年代中期のヨーロッパ車としては異例の大型。そのエンジンは初期形で1.9L、最終形で2.3Lに過ぎなかった。車重は1.2t〜1.3tと軽量なため、動力性能に大きな不足はなかったという。ボディデザインを手がけたのは、シトロエンの社内デザイナーで、トラクシオン・アヴァンや2CVのデザインも手がけたイタリア人のフラミニオ・ベルトーニとされている。ボディ部分は最低限の強度骨格のみを構築して、その外側にパネルを装着する「スケルトン構造」。この手法に関してあとで書くブログを見てもらうことにして、ただ屋根部分の初期には色が薄く、日光を一部透過するほどであった。後には徐々に不透過性に改められた。とにもかくにも不思議なクルマだったことは確かなことである。   コウジロウの独り言