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ピサの斜塔はもしかして、神々の怒りの産物なのか?

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前にブログに書かせて頂いた、フィレンツェの駅から出発してピサへの旅が出来ると言ってたのを覚えて頂いてましたか?ピサの建物はロマネスク様式のキリスト教の聖堂である。ピサは11世紀頃から自治都市として地中海貿易で繁栄したそうで、経済的繁栄を背景として聖堂の建設が計画されたそうです。聖堂は11世紀半ばに着工され、12世紀に完成した。続いて聖堂の周囲に洗礼堂や鐘楼が建設されていく。この聖堂の傍らにそびえる鐘楼が、あの「ピサの斜塔」である。このピサ大聖堂は、ロマネスク様式の代表として知られている。建築などの美術様式のことを差してお「ローマ風の」という意味で、ローマ時代の建築の影響が強く見られるのでこのように呼ばれるようになったそうだ。またバシリカ様式は、内部の広間が真上から見てラテン十字型の形状になっている構造である。ロマネスク様式のもう一つの特徴は、半円アーチが繰り返し使用されていること。廊下の天井やドームにおいて半円アーチの形状がある。こんなことを言いたくてこのブログを書いている訳ではありません。この大聖堂が出来たいきさつが問題。各地にキリスト教信仰の中心地が確立し、その富と権勢の大きさを表す手段としてピサ大聖堂が作られるようになったからである。言わば権力の象徴としての建造物なのです。ここが重要なことで内部の円柱の多くはイスラム教徒から略奪したもので、内部装飾にはイスラム様式のアーチやビザンティン風のモザイク画など、東方文化の影響を見ることができるのですが、そのほとんどが戦利品だと知ったらがっかりします。それらを集めて集約する慣習がこの頃からあったのだと痛感してしまいます。イスラム教徒はこの頃も迫害を受けていたのか?今と通ずる物があるのか?知りたいことでもあるのだ。ただ単に美しいだけでこれらの建造物は語れない。大聖堂は1064年、都市国家であるピサがイスラム軍と地中海貿易の覇権をアラブ勢力と争い大勝した「パレルモ沖海戦」を記念して起工されたんだそうだ。ギリシア人ブスケットの設計、指導の下に着工が行われ、12世紀にライナールドがファサードを完成させた。大聖堂の建設にかかった期間は1064年から1118年と約半世紀にもわたるとされる。約200年位かかっているのだ。血みどろの戦いや略奪からの結晶であるなら本当の美しさを疑いたくなる。それから34年後の1152年には洗礼堂が、さらにその19年後の1173年には鐘塔が、大聖堂の周りに建設され始めた。それぞれの建築物は14世紀後半に完成され、現在のドゥオモ広場が生まれた。11世紀から12世紀の西ヨーロッパではキリスト教信仰の高揚を背景に教会の建設がさかんになり、イタリアやフランスを中心としてロマネスク様式の聖堂が各地に建設された。とある。信者たちはピサの大聖堂を含む各地の教会を訪れ薄暗さや壁面の彫刻によって演出された重く深みのある空間のなかで、神への祈りを捧げたのだろう。それにしても、これほど安定感を持った聖堂の隣にある塔が傾いて斜めになってしまったというのは歴史のおもしろいところだと思う。もしかして、ピサの斜塔はその略奪や迫害からの神々の怒りからできたものなのか?だから傾いてしまったのではないだろうか?歴史を見抜かなければ今現実にある物の本質を掴むことは出来ないのである。単純にこの斜塔に登ったから!なんて簡単なお話ではない、歴史を語る貴重な建造物なのである。

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