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W124メルセデスはコンフォータブルないいクルマだった!どの位今でも走ってるのでしょうか?

f:id:kohyusya:20170126112224j:plainW123型の後継車にあたる1980年代に自分が乗っていたW124型メルセデス。ボディは4ドアセダン。230Eの右ハンドル。230Eしか当時は右ハンドルはなかった。リアシートのヘッドレストが運転席の操作でパタ−ンと倒れるのが面白かった。今ではバックモニタ−があるのでその必要はなくなったが後が見やすい設計なのか配慮が素晴らしかった。イタリアに家族で旅行した時、イタリア語なんか当然話せない自分。着いてからのトラブルを避ける為に、安全策としての迎車を日本で手配しておいた。日本が大雪で飛行機が遅れ、ミラノの到着が一日遅れてしまった。前日から泊まっていた成田のホテルに自分のW124を残し、ロンドン〜レオナルド・ダビンチ空港経由の空の旅でマルペンサ空港へ。迎えてくれたのは一日遅れなのにも関わらずリムジン。自分たちの前にサーッと現れた。紺色のW123のロングボディーメルセデスだった。ホテルまでの30分間、快適に自分達を運んでくれた。ヨーロッパではこのメルセデスを見ない国はないと言える位W123/W124は多かった。ローマでも英語のできるガイド付きクルマをチャーター。実際にはバスツアーと変わらない費用だったので、東京で予約しておいた。この時も白いW124のロングボディのリムジンだった。本国ドイツではタクシーがW124だった。このクルマは機構的にW201型 (190E)のサイズと全長を大型化したもので、台形のテールランプが特徴だった。リアサスペンションは190Eで開発されたマルチリンク式に。外板の平滑化が推し進められた結果、以前ブログで述べた様にメルセデスの市販車では初となる0.29のCd値を得ている。つまり何も突起がないということだ。最後のミディアム・クラスとして現在でも人気は高く、W124を中心に中古車販売店では扱う店も多かった。1985年、ドイツ本国で発売開始。翌1986年に日本に輸入。当初はセダンの230E、260E、300Eだったはず。詳しくは自分でもよく解っていない。1987年に260Eとクーペの300CEが追加。ともに230Eの右ハンドル車があった。1988年、ステーションワゴン230TEを追加。W123以来、あの後席に3つのヘッドレストがあるものです。1989年、300TE、260E 右ハンドル追加。1990年には外装を中心にマイナーチェンジされたそうだ。自分のメルセデスは9万8千kmでミッションが壊れ、自分の手からは離れて行ったのだが、維持費がやたら高かった印象がある。後にクーペに装備されていたサイドプロテクトパネル (サッコプレート) を全車に標準装備とした。自分のにはこのプレートはついていなかった。ナンバープレート脇も面一に変わっていた。それ以前のクルマに純正とは思われないパネルをはったクルマも多かったようだ。年式の違いがエクステリアで見分けられた。1991年には500Eおよび400Eを発売。500Eは標準のボディに500SL (R129系) に搭載されていたV8エンジンを載せたモデル。ノーマルに比べフェンダーが大きく張り出している。あこがれたものだ!ポルシェのバイザッハ研究所が開発し、生産工程の一部は1992年までポルシェの工場で行われていたらしい。限定車としてE500リミテッドが500台限定発売された。日本へはヤナセではなく並行輸入が多かった。。400Eも北米や日本向けのクルマで、開発のきっかけとなったのはレクサスLS400 (トヨタセルシオ) に対抗したクルマ。W124はレクサスよりもクラス下のセグメントだが、北米での価格・車格はほぼ同等で実質的なライバルとされていた。日本車もここまで脅かしてるとは凄いことである。とにもかくにも未だに高額なクルマ、メルセデス。といっても日本車のレクサスブランドも高額設定である。選ぶ基準が難しくなっている今日この頃です。

 

コウジロウの独り言