GINZA ILLUMINATION 2017・銀座通りの「光の花かご」?

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Photo by Kojiro

自分はもう銀座の人間ではない。したがって銀座のディスプレイについてとやかく言えた義理ではない。ある日の夕方、クライアントが日本橋にあるのでITOYAに向かって、歩いて銀座一丁目まで行った時の事。見られないイルミネーションが中央通りから銀座通の入ったとこにあったのだ。調べて解ったのが2016年末から冬の銀座の風物詩となるように「ギンザ・イルミネーション2016(GINZA ILLUMINATION 2016)」としての企画イベントが12月3日にスタートしたのだったらしい。その残像を自分は見たのだった。"光のアーティスト"として国際的に活躍しているフランスのクリエーションスタジオ「ピタヤ(PITAYA)」を起用とある。ディスプレイから遠ざかっている自分だからか知らない人。「光の庭園」をテーマに街を彩った。通常無かったイルミネーションがあったのにはちょっとビックリ。何を意味してるのが解らなかったからである。東日本大震災の復興を祈願してスタートした「ギンザ・イルミネーション」は、「ブルガリ(BVLGARI)」や「カルティエCartier)」「シャネル(CHANEL)」といった銀座にブティックを構えるブランド企業が加盟している「ギンザ インターナショナル ラグジュアリー コミッティ」、銀座通連合会、全銀座会が主催するイルミネーションイベントで、昨年で6回目を迎えたらしい。「ブルガリ(BVLGARI)」は常陳であるが故にとてつもなく素晴らしい。銀座通りのは約13万個のLEDと48個の輝くオブジェで、中央通り1丁目から8丁目および晴海通りの数寄屋橋から銀座4丁目交差点付近を装飾している一部。「花と樹」をモチーフにしたオブジェは銀座通りに16個設置したほか、初めての試みとして32本の街路灯にバスケット状のイルミネーションを吊り下げ、頭上からもライトアップしていた。これがまた中途半端に見えるのだ。やるならやるでもっと数が欲しかった。晴海通りでは中央通りのイチイの花壇と合わせて13万個のスペシャル・シャンパンゴールドのLEDをガードレールと街路灯に巻きつけ、上質な世界観を演出してたらしいがそこまで自分はたどり着いていないのである。かつてショウウィンドウで仕事だったが銀座通連合会で賞を頂いた事もあったが今や誰がインシャチブをとってやっているのか誰かも解りかねるのだが? 今年もやられるであろうこれらのイルミネーション。今年の情報は以下の通りで、期待通り昨年の2倍の量になるそうだ!そのまま記載するのでよろしく!

7回目となる今年は、昨年に引き続きフランスのクリエーションスタジオPITAYA(ピタヤ)がデザインした“光の花かご”を街路灯に吊り下げるイルミネーションを展開。銀座の街並みをアート感覚あふれる世界観に包み込みます。設置する街路灯の本数は昨年の約2倍、銀座・中央通りに46本、晴海通りに14本、合計60本とエリアを拡大します。晴海通りの街路灯に吊り下げ型のイルミネーションを設置するのは今回初(昨年は銀座・中央通りのみ32本設置)。合わせて晴海通りでは、例年同様にガードレールへのLED装飾も行います。 点灯時間は15時から24時まで(初日のみ16:30~)。“光の花かご”が、夕暮れに向かう日差しや街のネオンに反射しながら暖色系の白色の光彩を放ち沿道を照らし続けます。 【開催日時】 2017年11月25日(土)~2018年1月8日(月・祝) 15:00~24:00 ※11月25日のみ16:30~ 【開催場所】 銀座・中央通り1丁目から8丁目および晴海通りの数寄屋橋から銀座4丁目交差点付近                 以上                                コウジロウの独り言

初めは時計がなかった。札幌市時計台。

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礼文島富良野旭川を経由しやっと4人が共通の友人のいる札幌に着いた。思い起こせば、T美大の同級生の家にやっと到着し、一泊。次の日に時計台に到着した。この頃の「夜のすすき野」はリーゼントの男達が多かったのを覚えている。キャロルがデビューした頃である。やたら暑かった1972年の札幌の夏。ジンギスカン料理がおいしかったのを覚えている。この時計台、明治35年頃までは「農学校の大時計」と言われていたらしい。何時のころから時計台とよばれるようになったかはっきりしないそうです。当初完成したこの建物、演武場には時計塔はなく、授業の開始や終了を告げる小さな鐘楼が屋根の上にあっただけらしい。演武場の完成式に出席した黒田清隆開拓長官の指示で、塔時計の設置が決まったと言われています。1878年10月25日、ホイーラー教頭がアメリカ合衆国ニューヨーク市ハワード時計商会に塔時計を発注。1879年6月頃札幌に到着した時計機械が予想以上に大きかったため、鐘楼に設置できなかった。時計塔の設置には大がかりな改修と費用が必要なため、当時建築中の豊平館や他の建物に設置することも検討されたのだそうだ。ホイーラー教頭はそこで演武場に塔時計を置いて札幌の標準時刻とすることの大切さを力説。黒田長官を説得しましたのだそうだ。完成間もない演武場に時計塔を造り直して時計機械が据えつけられたのです。校地内の天文台(観象台)で天体観測を行い時刻調整を行ったのち、1881年8月12日、塔時計は澄んだ鐘の音とともに正しい時刻を札幌の住民に知らせ始めたのだそうだ。1878年10月16日 - 演武場(武芸練習場・屋内体育館)として建設され、札幌農学校敷地内で、1906年に移設されるまでは、現在の位置よりおよそ130m北東に位置していたのだそうだ。有島武郎の「星座」では「演武場の片隅にある時計台」とある。この作家は「カインの末裔」でも北海道の酷烈な自然とたたかいたくましく生き,隷従的な生き方の他の小作人たちとなじめない,農場主の権力にも打ち勝てずもせず,悲運も重なって,あてもなく農場を去る悲劇を描いたりもしている。開拓農場の隷従的な労働の実態もリアルに描き出している作家でもある。その中に札幌時計台を描いているのがなんと大切な建造物なのではないでしょうか?また高階哲夫は「時計台の鐘」を作詞作曲。前述の様に明治時代は「農学校の大時計」、又は「演武場の時計台」と言われたり、大正時代に「時計台」と呼ばれ、そして一般化されたそうです。かつては札幌市の図書館として使われていたこともあり、北海道庁旧本庁舎(赤レンガ庁舎)と並んで、札幌市中心部の今や欠かせない観光スポットである。札幌市の象徴的建物でもある。また道外では札幌ラーメンの店の看板や北海道観光のポスターに多用されている。なんと北海道日本ハムファイターズの応援歌の歌詞にも使われているとも言うのだからその認知度は相当高い事がわかる。白い壁面が象徴色になってるが、1995年から実施された保存修理時の調査で、創建当初は壁が灰色、柱や窓枠が茶色に塗られていたことが判明したのだそうだ。緑色に壁が塗られていた時もあったそうなのだが、白の塗装となったのは1953年からである。今や壁の色は創建時の灰色に戻すことはせず、長年親しまれた白色としているのだそうだ。建設当初は大時計を設置せず、鐘楼に工部省東京工場製の鐘が吊るされていたと文献にあるのが信じられないくらいマッチした建造物は我々を幸せの道へ案内してくれそうである。                                                    コウジロウの独り言

幕張・新都心の発展は遊び感覚の総合レジャー施設から?

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幕張新都心・ワールドビジネスガーデン マリブウエスト35FにあるGOLD'S GYM。本当に館内は東京湾を全体見渡せる圧倒的な眺望。「シリアスフィットネスとエグゼクティブ空間の融合を実現している」とはよく言ったものです。オフィス街とマッチしてるのか?なんか素晴らしく感じた。このエリアのGOLD'S GYMではANNEX店と両方、会員は利用出来る。ANNEX店はJR駅徒歩2分。ヨガで2週間のうち2回だけ体験でANNEX店へ行った事がある。どちらかと言うとANNEX店はマッチョが多かった。マシンをやりにやはり2回だけマリブウエスト35F店を体験。シチュエーションは抜群である。35Fは我がマンションでも22Fなんだから相当高い。最も低層階に自分は住んでいるのだから、何とも言えないが?高所恐怖症の自分なのだが階数の高いスポーツジムは特別で素晴らしかった。記憶ではちょっと前に体感したのであるが、とてもよかったと記憶している。エアロビクスの体験はこの場所ではなかったのだ。そもそもエアロ・ビクスやヨガのカリュキラムがGOLD'S GYMでは少ないのだ。南船橋ビビットスクウェアダイワハウス系列のNASスポーツクラブの閉鎖に伴って体験して覚えたスポーツジムGOLD'S GYM。やがて元のNASの場所も数ヶ月経ってGOLD'S GYMになったので、そこに行く事にしたのだった。したがって幕張新都心ゴールドジムには行く事がなくなった。ただ思い起こせばサンサンと入ってくる太陽の日差しの中で自転車漕ぎやルームランナーは格別だったのを覚えている。トレーニング・ジムのスタジオでビビットスクウェアでも太陽の日差しが入るとまぶしいのだから、35Fのジムに行ってたらさぞかし日焼けしてたのだろうか?ただ日差しの入る場所が、柔軟やスタ−トする前のストレッチするところだけだった気がします。ヨガとかエアロをするスタジオは34Fで天井高の鏡一面のさすがってところ!ちょい狭い感じがしたのは天井が高い所為なのかもしれません。このスポーツジムの会員にならなかったのは駐車場の無料券が2時間しか貰えなかったから。そして何よりも家から20分位かかってしまうからなのだ。今のビビットスクウェアのGOLD'S GYMだったら10分位で行けてしまうからなのだ。今は体調崩してるので、休会し妻のみ通ってますが、早く戻りたいものです。左の写真の様に幕張・新都心はイオン・モールが数年前に出来た事やプリンス・ホテルからアパ・ホテルへと経営が変わる等、ますます目を離せなくなってます。手前にはCOSTCOもり、アウトレット・モールもワールドビジネスガーデンの2ブロック向こう側に拡張され活気が出て来てます。写真にもある「東京ベイ先端医療・幕張クリニック」は、がんをより鮮明に映し出す「PET-CTによる画像診断と、放射線治療装置により”切らずに治す”からだにやさしいがん治療を目指す医療施設」もある。そして来年からはロッテ・オリオンズの監督も井口資仁内野手と決定し、ますますこのエリアを活性化してくれる筈。イオン・モールも市場調査として自分は足を運ぶのが大好きですし、御殿場や酒々井のアウトレットも遠いと感じた時、このエリヤのアウトレット・モールが最高の一時を創ってくれてます。さあ!どうですか、たまには幕張新都心に足を運んでみたら?ただ、自分はララポートにいる事が最近多いかも知れませんが?

コウジロウの独り言

フランスの画家ベルナール・ビュフェを富士の麓で!

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静岡県長泉町東野の「クレマチスの丘(スルガ平)」にあるベルナール・ビュフェ美術館。フランスの画家「ベルナール・ビュフェ」の作品を収蔵・展示するために、岡野喜一郎 (1917-1995)によって1973年11月25日に創設された美術館である。以前はリトグラフを我が家にも展示してたのだが、訳あり親戚の家にある。妻が静岡県出身という事もあり、妻のお父様のコレクションの一枚がビュッフェのものだった。我が家にはプリントだが何枚かのビュッフェの額が吊りされていて洗面所の3面鏡に写るピエロは圧巻である。独特のフォルムと描線。白と黒と灰 色を基調とした沈潜した色。「私はビュフェの虜となった」と岡野喜一郎著「ビュフェと私」1978年4月(ベルナール・ビュッフェ美術館HPより)が言ってる様に、我々夫婦まで虜になってしまっているにかもしれません。伊豆方面にドライブすると必ず寄る中堅地点でもある。当然、「クレマチスの丘」で軽食もとれる。この美術館の収蔵作品数は油彩画、水彩画、素描、版画、挿画本、ポスター等あわせて2000 点を超え、世界一のビュフェコレクションを誇っているとのこと。このビュッフェの戦後の虚無感や不安感を描き出した表現は、岡野氏の心に深く刻 まれたのこと。その後、各年代の代表作の蒐集を続けた岡野氏は、この稀有な画家を20世紀の時代の証人として残すため、「ひとりの天才の才能を通じ、この大地 に文化の花咲くことをのぞむ」という願いのもと、故郷に近いこの地に美術館の創設を決意したらしい。何を隠そう自分も影響を受けた一人かも知れません。そのうちこのブログでもご紹介したいのですが、直線の集合体をベラム紙に描きその描画をスキャンし、写真で撮ったRGBをCMYKに置き換え、プリントする作品を10数枚創作している。今はデジタルになってMacがあればその作業も出来るであろうが、数十年前の当時は板橋の凸版印刷のグラフフィックアーツの製版の方々ににお世話になって10枚づつ位、B2校正刷で制作して頂いていたのである。要はプリントメディアもリトグラフ同様表現の一部であると自負して創造に至ったのであり、その理解を求めようとした。ただ、ビュッフェの表現の線と面には到底追いつけるものではなく、ただ小綺麗なグラフィックイラストレーションに終わっているのかもしれないと考え、少しあきらめも生じていた。その表現した作品はまた後日ご紹介することにして、この美術館のお話に戻します。この建物の設計は「建築:菊竹清訓建築設計事務所」。何かファサードがカッコいい。設計者・菊竹清訓氏は独自のデザイン論である『代謝建築論 か・かた・かたち』を掲げ、黒川紀章氏らとともに建築と都市の新陳代謝、循環更新システムによる建築の創造を図ろうとする「メタボリズム」を提唱していた。2000年にユーゴスラヴィアビエンナーレにて「今世紀を創った世界建築家100人」に選ばれている。1970年の日本万国博覧会大阪万博)では『エキスポタワー』、1975年の沖縄国際海洋博覧会(沖縄海洋博)では『アクアポリス』を設計し、1985年の「国際科学技術博覧会(つくば科学万博)」ではマスタープラン作成委員としてBブロックの会場計画および外国館の設計を担当、2005年「日本国際博覧会愛知万博)」では総合プロデューサーとして会場計画を担当するなど、日本国内で開催されてきた国際博覧会にも深く関わってきた方である。デザインが格好いいのでご紹介したのだが、一つ皆さんにお伝えしたいのは、美術館側には失礼なお話なのだが、常陳がすべてご紹介されている時にこの美術館を訪れた方がいいという事である。何かイベントや特集が組まれていると「ベルナール・ビュッフェ」は堪能出来ないからである。見たい絵画が見れない時、「こんなに悲しい事なのか?」と何回も実感してるからなのです。特にビュッフェ美術館は多い気がします。間違いだったらゴメンナサイ。

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VOLVO V40と今はもう無い「NISSAN Carest」

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いつも洗車をしていた、カレスト幕張「Carest」。愛車V40はコーティングしているのでいつも水洗いのみ。でもカレストのシチュエーションとポジショニングは最高によかった。家から10分位で隣には「TOKYO INTERIOR」があり場所としては最高だった。パームツリーが何本も並び、背景にそれが写るだけで真夏の頃はハワイのようだった。それが今年無くなってしまったのだ。がっかりである。かつては「おぎやはぎの愛車遍歴」のロケ地でもあった。あのドン小西氏の時はこの周遊をグルグル廻っていた。youtubeか「おぎやはぎの愛車遍歴』のDVDを見て頂ければ場所が「良かった」って事が解ってくれるはず。もうぼくなんかは洗車はおかげで自分でやる事なく、ガススタンでやる事になってしまった。ランボルギーニフェラーリはさすがに来なかったが、BMWメルセデス、そしてアウディ達もよく来ていた。何故かニッサンのサービスステーションなのに外車が多かった記憶である。久々クルマについて語ることにする。愛車はVOLVO V40 T4。2012年春のジュネーブモータショーでデビューし、日本では2013年2月19日に発売された新型「V40」は、ボルボの最小5ドアモデル。車名は初代V40(1995~2004年)の復活という形になるが、実質的にはC30/S40/V50(2004~2013年)のクロスオーバー後継車と言われている。いわゆるコンパクトカーに属し、ライバルはVW ゴルフ、メルセデス・ベンツ Aクラス、BMW 1シリーズ、アルファロメオ ジュリエッタ、レクサス CT200hなどとなる。その開発コンセプトは、ボルボの上級モデルが備える機能をコンパクトカーに取り入れる、というものだった。中でも安全装備に関しては、世界初を含めた最先端のシステムを採用しており、作動速度域を従来の30km/h以下から50km/h以下まで高めた自動ブレーキ「シティ・セーフティ」を標準装備。そして歩行者を検知する「ヒューマン・セーフティ」や世界初の「歩行者エアバッグ」をオプションで用意するなど、クラスレスな内容となっている。なんと縦列駐車は自動運転してくれるのだ。ただ、まだ一度しか使ってないのだが。デザイナーはサイモン・ラマー氏でV40の外観デザインを統括したケベック出身のカナダ人でスカンジナビアデザインとなっている。C30のクーペスタイルを5ドアで再現したという感じでもある。エンジン型式は B4164T。2013年バージョンで購入。本来なら2014年バージョンとなる時期なのに、直ぐにリーズナブルな価格帯で欲しいという事でこの時期となり、スタッドレスタイヤ4本(純正品)もホイール付で入手。 ●最高出力:180ps(132kW)/5700rpm 最大トルク:24.5kg・m(240Nm)/1600~5000rpm●種類 :水冷直列4気筒DOHC16バルブICターボ ●総排気量:1595cc 内径×行程:79.0mm×81.4mm 圧縮比:10.0過給機:IC付きターボ ●燃料供給装置:電子燃料噴射式 燃料タンク容量:62リットル●使用燃料:無鉛プレミアムガソリン  JC08モード燃費:16.2km/リットル ●ステアリング形式:パワーアシスト付きラック&ピニオン ●サスペンション形式(前):マクファーソンストラット式 ●サスペンション形式(後):マルチ・リンク式 ●ブレーキ形式(前):ベンチレーテッドディスク ブレーキ形式(後):ディスク ●タイヤサイズ(前):225/45R17 タイヤサイズ(後):225/45R17(自分のは215/55R16) ●最小回転半径:5.6m 駆動方式:FF トランスミッション:6AT LSD 等々凄いと思いません?法廷規制があるからあまりスピードの事は言えませんが、とにかくキビキビストレートに速い。最高にデザイン・性能、共に気に入っている。スポーツカーセダンと言えばいいのですかね?メーターもボルボ初のデジタルで3パタ−んを選べるから面白い。●日産カレスト幕張店によせられていたクチコミ情報を記載してみると●ピカピカにしてもらった記憶があります! 隣にあるカー用品店も利用しました。 良い場所にあります。●とにかく、広すぎてどのくらい車があるか分からないくらい。お店の方も気さくに対応していただいた上、店内の広大な敷地の中で試乗できる所は他店では、なかなか無いと思います。 また、正規ディーラー系店だったので、アフターサービスも充分満足いくものでした。分からない点も明確にお応えしていたけて、安心して取引ができました。●さすが日産直営のお店で、日産車の事なら営業マンがビシビシ教えてくれます。 ここの営業マンと話していて、日産車が好きになりました。 友達や親にも紹介して、合計三台同じ営業マンから買いました。●試乗700m×二周のコースで車の状態を見れるというのがかなり良かったです。店員さんも他の中古車店のようにとにかく「車買って!」を押しつける事もなく、車や諸経費の内訳説明が丁寧でした。=ニッサンのセールストークが多く聞かされた。カレストは多分採算割れしたんでしょうね。今やニッサンも他の数社もリコールが起きており、大変な事になっている。そして潮流は電気自動車・自動運転。自分はもう少し化石燃料車に乗ろうと思ってます。助手席に左手を乗せバックする姿はもう見られませんが?                              コウジロウの独り言

北海道・駒ヶ岳と大沼公園キャンプ場

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大沼を挟んで北海道・駒ヶ岳を写真は撮らえている。僕らスカGの4人は駒ヶ岳の麓のキャンプ場に泊まった。キャンプのテントは借りたのか覚えてないが、カレーを作って食べた事は覚えている。現在の大沼公園には大沼の東側に2ヶ所のキャンプ場が整備されてるそうです。これらのキャンプ場の特長はまったく正反対で、東大沼キャンプ場は本州から北海道へ渡るバイクのツーリング旅を楽しむ方用となっているらしい。僕らが利用したときも多数のツーリング客がキャンプを楽しんでいたのを記憶している。45年前の当時はハチの子族と言われてたのを覚えてますか?かたやもう一方のキャンプ場である流山温泉キャンプ場は敷地全体が流山温泉のテーマパークのようになっており、家族連れが多く利用するキャンプ場となっているとのこと。昔は上記の一カ所のみだった気がします。北海道・駒ヶ岳は、北海道森町、鹿部町七飯町にまたがる標高1,131 mの活火山(成層火山)。蝦夷駒ヶ岳(えぞこまがたけ)、渡島駒ヶ岳(おしまこまがたけ)とも呼ばれてるらしい。「北海道」を冠するのは全国に多数存在する同名の山と区別するためであり、地元の北海道の人たちでは単に駒ヶ岳と呼ばれているらしい。本当に大沼と挟んで素晴らしい風景であった記憶がある。何せ、北海道に来たのはまだ4回程度。ハワイ・ホノルルの15回に比べると殆ど来てないに等しい。キャンプ場を出るときクルマのナンバープレートにガムテープが貼られており、お巡りさんに怒られた覚えがある。「お前らみたいな本土から来た奴らが北海道の歩道橋を造ってくれるんだから、交通違反は罰金がつきもの。この行為も故意だったら罰金ものだ!』とやたら犯人扱いされ怒られた記憶もある。この写真は初めての北海道訪問の駒ヶ岳でした。駒ヶ岳の山頂部には直径約2 kmの火口原があり、山腹は、火山噴出物で覆われる地形輪廻の原地形になっているとのこと。登っていないので解らないのである。山頂直下から侵食が始まり、一部で深いV字谷を形成し始める途上らしい。山麓には、堰止湖である大沼、小沼などの湖沼や湿地など豊かな自然環境が生まれ、一帯は1958年(昭和33年)7月1日に大沼国定公園に指定されている。渡島半島南部に位置し、函館市の北約16kmの距離にある。活火山の北海道駒ヶ岳とその火山活動によってできた大沼、小沼、蓴菜じゅんさい)沼の湖沼からなる。大沼には大小100数種の小島が浮かび、春から秋にかけてサイクリングなどのアウトドアスポーツを楽しむことができるそうだ。大沼から駒ヶ岳を回る鉄道の線路が海岸との間に函館本線の「藤城線』が延びている。「藤城線」とは通称で、正式名称はあくまで「函館本線」です。藤城線は、七飯駅大沼駅間の東側の路線。途中に駅がひとつもない、さらに不思議な区間です。ただ景色としてみるとその線路は模型のジオラマを見ているようだった。 コウジロウの独り言

礼文島の昆布と利尻富士。

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礼文島(れぶんとう)は、北海道の北部、稚内の西方60キロメートルの日本海上に位置する礼文郡礼文町に属する島。写真はモハメッド・アリの運転手のバイト代が入り、リッチになったところでその夏、北海道へのドライブ旅行となった。T美大の男4人だけのドライブ旅行になった。もちろん、宿泊代等うかす為に野宿やキャンプ場での自炊旅行になった。松島でテントで一泊した後、大間から函館へ。函館からサロマ湖経由で網走、そして宗谷岬稚内でスカGを路上駐車をしてフェリーで礼文島へむかった。1973年頃のお話。何年か後ドーバー海峡も渡る事になるのだが、今思えばドーバー海峡のフェリーに比べると少し質素なフェリーだったような気がした。短パンにTシャツの友人達は寒くてオーバーオールを着たが、クルマは稚内に置いて来たため、軽装で来た為寒さを防ぐものはなかった。礼文島の地名の語源はアイヌ語のレプン・シリ=repun-sir(沖の・島)で、礼文水道を挟んで利尻島の北西に位置するとのこと。冷涼な気候により海抜0メートル地帯から200種類以上の高山植物が咲き乱れ、そのため別名花の浮島と呼ばれているという。人口は2017年4月1日現在、2,604人。写真の干されている礼文昆布は明治に入ってから採取が始まったそうです。黒褐色で、真昆布よりやや黒く、ダシ汁とした場合、透明で風味が良く高級料理のダシとして使われているそうです。甘みがあり、味が濃く、香りも高い透明な澄んだダシがとれるとのこと。幅が狭く、葉の基部は細いくさび形をしているそうです。写真は遠くに利尻富士をあおぎVS利尻コンブと言ってるかの様に礼文の昆布が干されていた。礼文昆布の色は黒褐色、葉は固くなっています。日本最北端の有人島(北海道本土や北方領土を除く)。東西約7.9km、南北約25.8km、周囲約72km。スコトン岬と金田ノ岬の間に直径5kmの半円形の船泊湾がある。最高地点は礼文岳(標高490m)。礼文島を縦断する車道は東海岸にあり北部 - 東部 - 南部に通じているが、西海岸を縦断する道は車両の通行が不可能な林道のみとなっているそうだ。島のほぼ中央部分を礼文林道という未舗装の道が通っている。島の北部には久種湖(くしゅこ)という淡水湖があるんだそうだ。利尻島と違い、白亜紀 - 新第三紀中新世に海底で堆積した砂岩や泥岩、火山岩の地層が見られること。また地蔵岩の周辺から1億1150万年前のアンモナイトの化石が見つかっており、新第三紀中新世の地層は、主に海底火山の残骸からで、スコトン岬や知床に露出が見られているそうだ。白亜紀の地層は、礼文岳を中心とした島のほぼ中心に露出し、また桃岩は、約1300万年前のマグマが海底下で個結したものであるのだそうだ。したがって、礼文島の形成場所は海底と考えられている。 礼文島が南北に伸びているのは島の骨格をなす白亜紀の地層が南北に褶曲したためである。至る所に安山岩玄武岩の柱状節理が岩脈として現れているのだそうだ。また化石やケイ岩、火打石(レブンメノウ)を数多く産出している事実もある。こんな島だったら、化石探検をしに行きたい気持である。何十年も経った今、また、礼文島からの利尻富士を眺めたいものである。         コウジロウの独り言