金沢から福井へ、恐竜博物館は面白かった。

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ご覧のように本当に恐竜の博物館。動くのがあると聞いていてあの人間が操作するのが何体かいるアトラクションがあるのかと思っていたら、まるでそんなのはなく、本当に化石発掘から入る真面目な博物館だった。遠くからドーム状の輝く建物が見えたらそれがそうだった。近代的なモダンな建物である。黒川紀章建築都市設計事務所が手がけているからなのか、この周辺にはない建物だから、すぐに目を引いた。2007年に黒川紀章が亡くなっているから、実際に本人が取り組んでいるかは不明ですが?とにかく目を引いた。1982年に勝山市北谷の杉山川流域で、中生代白亜紀前期のワニ類の全身骨格化石が発見された事が発端となり、1988年に同地で福井県立博物館職員による予備調査が実施。小型肉食恐竜の歯化石が発見された。と最初に書かれていました。博物館施設として最初に福井県立博物館が、自然、歴史、民俗、産業に関する展示などを行う総合博物館として誕生、1984年に福井市に開館した。その後、2000年に自然科学分野に関する展示が勝山市に新規開館した福井県立恐竜博物館へと移管されたそうだ。2013年7月に設立されたアジア恐竜協会の事務局が博物館内に置かれている。恐竜に関する資料を中心とした地球史を学習できる国内最大級の博物館です。銀色に光るドームの内部にある展示室は、「恐竜の世界」「地球の科学」「生命の歴史」の3ゾーンで構成されており、エスカレータで降りるとそこの世界を期待させた。

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Photo by Kojiro

写真のレインボーサウルス」は、高さは16メートル、イタリア人のアレッサンドロ・メンディーニ氏のデザインで、2000年7月の恐竜エキスポふくい2000開催時にシンボルモニュメントとして制作されたものだそうです。昨年10月からリニューアル工事を行いようやく完了したものだそうです。恐竜全身骨格をはじめ、大型復元ジオラマや映像など子供から大人まで楽しんで見ることができる。恐竜たちも冬眠に入りますので、今年は11/18で、終了します。とのこと、ちょっと早い気がしますがちょっと遠過ぎるかもしれませんね。永平寺に行く途中にあるから立ち寄っただけであまり期待はしてなかったのが正直なところ。永平寺福井県吉田郡永平寺町にある曹洞宗の寺院。そして博物館に程近い勝山市北谷町の手取層群北谷層からは、恐竜のほか、ワニ、カメ、魚類、淡水生貝類、陸生植物などの化石が産出している。この化石発掘現場は、2014年7月から野外恐竜博物館の一部として、見学することができるのだそうだ。2009年10月に、勝山市全域が恐竜渓谷ふくい勝山ジオパークとして日本ジオパークに認定され。2017年2月には、勝山で発見された5種の新種の恐竜の化石標本とその発掘現場が「学術上重要な標本とその産地として貴重である」と認められ、「勝山恐竜化石群及び産地」として国の天然記念物(地質・鉱物)に指定されたのだそうだ。44体の恐竜の全身骨格が展示されており、この中には、福井県で発掘された5種のうち復元されたフクイサウルス、フクイラプトル、フクイベナートルの全身骨格もあるのである。このうちカマラサウルスやアロサウルスなど10体は実物の骨の化石を用いて組み上げられている。展示物の『複製』の記載の有無で判別できるほか、博物館配布の利用案内などには実物の説明がある。特にカマラサウルスは、アメリカで発掘された骨を当館でクリーニング作業を行い組み立てたもの。ティラノサウルスの巨大な骨格を間近に観察できる「ダイノラボ」もある。そもそも期待をしてないで行かせてもらったこの博物館は結構面白かった。写真でちょっと覗いて見てください。  コウジロウの独り言

北陸新幹線デザイナーは日本人のフェラーリのデザイナーだった。

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Photo by Kojiro

前回でも金沢に旅をしてたことを述べていた。今回の話題はトランスポートしてくれた新幹線のこと。たまにはJR車両ののことも書いてみようと思う。当然のごとくエクステリアのお話しになるのですが。なんと北陸新幹線のデザインはフェラーリをデザインしたケン・オクヤマ氏だった。以前からスーパーこまち秋田新幹線のエクステリアの監修をしていたり、北陸新幹線のデザインも手がけているとも言われていた。よく見ると何かフェラーリを連想させるのだから面白い。ちょっと加工して見てみると、本当にクルマに見えてくる。特に北陸新幹線フェラーリそのものですね?自分は新幹線の中では500系が好きだった。本系列のデザインはドイツのインダストリアルデザイナーアレクサンダー・ノイマイスターによって行われ、それまでの車両と比べると高速性を感じさせるデザインとなっていたのである。それに比べるとちょっと大人しいのだが、北陸新幹線はノーマルに美しいのである。そのデザイナーが日本人であるのはちょっと嬉しい限りである。その名が「ケン・オクヤマ氏」。クルマ中心に今まで手がけられた仕事を並べてみると面白い。 f:id:kohyusya:20181107184829j:plain

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代表作は自動車=・フェラーリ・エンツォフェラーリフェラーリ・599GTBフィオラノ(ディレクターとして)・フェラーリ・456M GT・フェラーリ・カリフォルニア・フェラーリ・ロッサ(The Best Concept Car of The Year award in 2000)・P4/5ピニンファリーナ(ディレクターとして)・マセラティクアトロポルテマセラティ・バードケージ 75th(ディレクターとして)・シボレー・カマロ(4代目)ゼネラルモーターズのチーフデザイナー、ポルシェのシニアデザイナーを務めた後に、1995年にイタリアのデザイン会社ピニンファリーナにデザイナーとして入社を果たし。1998年に日本人初の同社チーフデザイナーに就任。フェラーリ・エンツォフェラーリマセラティクアトロポルテなどのカーデザインを担当したのだそうだ。特にエンツォフェラーリのデザインに関しては「イタリア人以外で初めてフェラーリをデザインした男」として話題となった。2004年に同社のデザインディレクターに就任した後、「やりたいことを全てやったから」との理由で2006年にピニンファリーナを退社したのだそうだ。 f:id:kohyusya:20181107185007j:plain

カーデザインのほか、鉄道車両、航空機、農業機械、船舶等のデザインも手掛ける。現在はKEN OKUYAMA DESIGNのCEOを務め、山形に工場と店舗、東京の青山に店舗、ロスアンゼルスに事務所を構え、自動車、鉄道車両、農業機械、家具、ロボット、化粧品、眼鏡、腕時計、テーマパークのデザインも手掛けているそうだ。2008年から川崎重工業のデザインチームと組み、新幹線や地下鉄、海外向けLRTのデザイン監修を行っているとのこと]。山形県山形市出身。イタリアピニンファリーナ社デザインディレクター(Creative Director)を経て2006年9月に独立。現在、KEN OKUYAMA DESIGNのCEO。アメリカ合衆国アートセンター・カレッジ・オブ・デザイン学部長・同校客員教授中華人民共和国中国中央美術学院客員教授多摩美術大学客員教授山形大学工学部客員教授金沢美術工芸大学客員教授名古屋芸術大学特別客員教授(2007・2009年度)、東北芸術工科大学大学院客員教授、イタリアピニンファリーナ社顧問、山形カロッツェリア研究会代表、グッドデザイン賞選考副委員長、ニュートンデザイン代表。2013年4月1日よりヤンマーホールディングス社外取締役に就任していた。(彼のウィキペディア・ホームページより抜粋)現在全てに関連してるとは言えないそうだが、すごい経歴の持ち主には変わりない。エディトリアル・デザインでチマチマやってる自分からすると羨ましい限りである。北陸新幹線に乗って残念だったのは、エコノミーだったからかインテリアが少しお粗末。シートの後ろについているテーブルなどは前の人が動くと振動をまともに受けるし、せめて飛行機のビジンネスクラスのレベルがほしかった。グランクラスに乗れる費用は出せないので残念でしたが。そして山手線。インテリアのカラーリングが素晴らしい。デジタル・サイネージが多く使われていて面白かった。特にエクステリアは未だに子供達に人気のプラレールにすぐ使えるフロントマスクだったり、新しさをも感じられた。兎にもかくにも素晴らしいデザイン・ディレクターが日本にいたもんですね。   コウジロウの独り言

21st Century Museum of Contemporary Art,Kanazawa 金沢21世紀美術館

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金沢駅に着いて早々、レンタカーで市内へ。駐車場に向かった。兼六園21世紀美術館に行くなら、21世紀美術館の駐車場が便利とネットには書かれていた。21世紀美術館の駐車場はすぐに見つかって、近代的なコンクリートの明るいグレーの建物に入っていった。目的はプールの底にいる人を上から見ることとプールの底から水面に写る人影だった。「スイミング・プール」と名前がついた作品。2004年作。レアンドロ・エルリッヒが作者。ライムストーンのデッキが周囲を縁取りここから見下ろすと、あたかも深く水で見た荒れているかの様に見えるとされていた。ただしこの日は常陳の地下の部屋には入れず、上からのみとなってしまった。残念である。最大の目的のプールの下から覗けなかったのはほんとうに残念でした。当たり前の日常の感覚を揺さぶられる、この作品を情報として聞いた時興味が相当湧いた。上と下との空間の関わり方を生み出してくれる作品。とにかくこの日は天気には恵まれていた。ただし、東京でも開催されていた深海誠展を見ることができ「光の妙技」を改めて体感出来た。油圧式のエレベーターにも乗りアートの幅の広さを感じた。

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次の作品は球体のパビリオン「まる」となってる。妹島和世 + 西沢立衛 / SANAAによる金沢21世紀美術館のシンボルとして、2014年の開館10周年を機に、新たな象徴として計画された「まる」は、直径1.8mのステンレスの鏡面の球が16個集まって全体とし1つの球となる形のオブジェで、美術館の新たなランドマークとなっています。とのこと。これは美術品であり、建築構造物でもあるパビリオン「まる」は彼らがかつて関わった作品作りの中でもとりわけ特別なものとなったそうだ。設計者SANAA+構造設計Arup+㈱竹中工務店+㈱北海製作所の4者が完璧なまでのスクラムを組み、制作と製作の融合がこの作品と言えよう。自分が思うに、自分で油絵とか彫刻を制作する時に、自らが手を汚し、手を入れてこそが作品とされていたのに対し、お互いの信頼関係と熱意があって創られる作品もあるという。ことの実感をも感じた。さらに金沢21世紀美術館という空間が、または金沢という美術と工藝が融合した文化をもつ地域がそうさせたのか、このプロジェクトを通して、金沢で製作・設置に関わった工事関係者に素晴らしく充実した時間を与えてくれた。とある。これからも永遠に金沢の景色を映していってほしいものです。何か遊べそうで遊べない作品がこの「まる」なのだが......。        コウジロウの独り言    

2018年10月25日(木曜日)午前中には金沢にいた。

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昨年の今頃は、築地の国立Gセンターに入院し,処置を終ろうとしてた頃。そして今年、寛解した記念もかねてなのか、妻のアイデアで家族旅行をすることができたのである。息子も独身で居られるのも少ないと思ってが一番の事由なのだが?以前から「3人が行ったこととないところへ行きたいね!」と話をしていて、やっとの思いで金沢に旅することができた。クルマでいかない旅。久々である。35年以上前に自分一人で組合のオルグでここに訪れはしてたものの、寒い冬の2月頃だった。ビジネスホテルから一歩も出なかった思いがある。大雪だったからである。アクセスも京都から米原と特急で向かった記憶があるだけで、こんなにも近代化された金沢駅ではなかった。今では「もてなしドーム」と「鼓門」で印象付けられるファサードを持つ素晴らしい駅と化粧している。「鼓門」は、能や素囃子で使用される「鼓(つづみ)」をモチーフにしてデザインされてるのは聞いていたのですが、今まで情報で見すぎてたせいかそれほどの感動はなかった。もっともこれが数十年経ったときに再び訪れてみるとその感動は蘇って来るのだと思う。パリの凱旋門がそうであるように!かつて金沢では加賀藩主・前田家のお殿様が庶民に能を奨励したことから、大工さんや植木職人が仕事をしながら謡を口ずさんだと言われています。屋根や木の上から職人さんの謡が聞こえてくる様子は、“空から謡が降ってくる” と形容されたのだそうだ。21世紀に入り、金沢は観光都市として急速に整備され、特にひがし茶屋街、にし茶屋街、主計町茶屋街の3つの茶屋街が観光地化に向けて誕生し、2001年に金沢城公園の五十間長屋が復元され、2004年には金沢21世紀美術館がオープンしたのだそうだ。にし茶屋街に立ち寄って「かわむら茶房」でパフェをいただいたのだが、甘納豆のコラボレーションのパフェはとてつもなく美味しかった。後日ブログデ紹介するかもしれませんが、最近になってムーブメン トとして茶屋街を作り、そこにスィーツを創作して、観光客を招こうと努力してる姿は目を見張るものがある。ただ、創れば全てが当たるわけではないはず。その新メニューには隠された過去の歩んできた伝統が隠されていると、味の中に感じた。とても美味しかったのだ。小豆のアンの量と白玉そして優しいソフトの絶妙な量 と、素晴らしい計算がされており美味しさのバランスが最高でした。金沢駅周辺も急ピッチで再開発され、2005年3月に「もてなしドーム」と「鼓門」が完成した。もてなしドームは巨大なガラス張りのドームで、雨の多い金沢を訪れる観光客の方に傘を差しだすイメージで建設された。パリのオルセー美術館になっている元駅舎の現代版のようである。石川県は年間降雨日数が全国で最も多い県で、地元では “昼飯忘れても傘忘れるな” という言い伝えがあるほどです。「鼓門」は、能や素囃子で使用される「鼓(つづみ)」をモチーフにしてデザインされているんだそうだ。屋根や木の上から職人さんの謡が聞こえてくる様子は、“空から謡が降ってくる” と形容された。直線の木々を束ねクヅスことによってできる柱は自分が高校生の体育祭用に造った入退場門がちょうどこれの縦横逆版だった記憶がある。金沢駅アメリカの旅行雑誌から「世界で最も美しい駅」のひとつに選ばれましたが、“美しい駅” と称される決め手となった景観が「もてなしドーム」と「鼓門」だったそうだ。観光客の方だれもが、「もてなしドーム」と「鼓門」を見ると「金沢に来たのね」と思われるのではないでしょうか。例えば、東京駅に降り立った人は、有名な赤煉瓦の駅舎がそうさせ様に「東京に来たんだ」と思わせる。それと同じような感覚になるかと思います出口に向かって歩を進めていくと、少しずつ巨大なガラスのドームが顔を覗かせ、駅舎から出ると頭上にガラス張りの天井が広がっています。観光客の方たちが、金沢観光で最初にデジカメやスマホを取り出すのがこの地点だそうな。ある人は前方の鼓門に向かって、ある人はガラス張りの天井に向かってシャッターを切ります。また、天井から下がっている懸垂幕を撮影する人も多く見られます。自分は全く気付きませんでしたが......。               コウジロウの独り言    

その風は近くでもあり、モウ遠い記憶になってしまった!

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何年か前に山登りというか、ハイキングレベルのトレッキングつまり山の尾根や麓を歩くことをしてました。トレッキング(英語:trekking)とは、山歩きのこと。登頂を目指すことを主な目的としている登山に対し、トレッキングは特に山頂にはこだわらず、山の中を歩くことを目的としている言葉とある。ただし、結果的に行動の過程で、当然、山頂を通過することもある。ニュージーランドでは、トランピング (tramping) と呼ばれているのだそうだ。今は亡き妻のご両親と妻の妹夫妻と甥っ子二人、そして我が家族3人の合計9人でよく初夏から晩夏にかけ、そのトレッキングをしていた。あ。妻はピンピンしてますのでご安心を!土曜日の朝はなぜか一緒にヨガをしてます。当然僕はやらされてる感が強いのですが、インストラクターが可愛いのでつい参加してしまいます。写真に戻ると、ここは車山近くの牧場。美ヶ原牧場らしい。調べてもなかなか出てこないアンテナがあるのでわかる人はわかるはず。あえてこの場所の説明はしない。まさかこの周辺が火山でできたものとは思えなかった。険しいところはなくやわらかな円弧を描くような尾根ばかりだからです。日本列島そのものが火山で覆い尽くされている。これは事実。特にこの辺は安山岩質の組成を持つ火山が風化浸食され地形とされています。この周辺の最高峰は、王ヶ頭=2,034m、他に、王ヶ鼻=2,008m、茶臼山=2,006m、牛伏山=1,990m、鹿伏山=1,977m、武石峰=1,973m、といった峰に囲まれており、山頂周囲は平坦で広大な台地状の地形で、美ヶ原牧場と呼ばれる牛の放牧地となっています。山岳に囲まれた松本平では、古来、西の山並を西山、東の山並を東山と総称し、松本盆地の人々は、美ヶ原を東山または王ヶ鼻と呼んできたのだそうだ。祖母がながの出身あったがそんなこと初めて知った。「美ヶ原」と呼ばれるようになったは、1921年に木暮理太郎が、日本山岳会の会報『山岳』に登山の記録を載せてからだそうです。美ヶ原台地の恵まれた自然の恩恵の受容は続き、狩猟・漁労や植物採集の生業の場であったことには変わりません。また、この辺の冬にスキー場になる場所を歩くと、その大地に小さな虫たちがうようよしてるのが目に付いた記憶がある。よく見ているとそんな大地が虫たちから生まれてきてるようにも思えてきたりもした。        コウジロウの独り言

二ケは衣装をはためかす風の攻撃に耐える、勝利の女神。

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船の船首に立つ羽を生やした女性の姿で表れている。1974年やはり2月のこと。大雪のパリの地下鉄を出てグショグショの革靴でルーブルに入った。今やファッションデザイナーになって遠い存在なってしまったY氏と二人きりだった。雪のせいかそんなにも混んではいなかった。『サモトラケのニケ』像に会ったのは入ってすぐにだった。あのスタチュウ(彫像)たちと違い、壮大な印象の彫像である。『サモトラケのニケ』(フランス語: Victoire de Samothrace, 英語: Winged Victory, ギリシャ共和国サモトラケ島(現在のサモトラキ島)で発掘され、現在はルーヴル美術館に所蔵されている勝利の女神ニケの彫像である。羽根を付けた勝利の女神は、サモトラキ島にあった、偉大なる神々の神殿に張り出していた船の船首に立っていたとされる。この建造物は、前2世紀初頭の海戦の勝利を記念するため、ロードス島民が奉納品として献上したものと思われている。姿勢の劇的効果、動きの力強さ、力動感あふれる襞をもつヘレニズム時代のこの作品は、クラシック時代の基準と交わりながら、ペルガモンのバロック的彫刻を予兆するのだそうだ。この彫像についての古文書はひとつも発見されていないため、様式および傍証から年代を推定することしかできないのだそうだ。次に、ロードス島のリンドスで発見された船を象った浮き彫りの形態と台座の大理石の由来から、彫像がロードス島のものであり、コス島、シデ島、あるいはミヨニソス島での勝利を祝したものと考える説があるのだそうだ。年代はそれぞれ紀元前261年頃、紀元前190年、おなじく紀元前190年である。そんな前の彫刻なのになぜこんな迫力迫ってくるのだろうか?美ヶ原高原美術館(長野県上田市)にレプリカがあり見たことが記憶にあるのだが、このパリのニケ像は本当に何十年も経ってるのに記憶に新しいのである。パリは2回しか訪れてない。イタリアの3回に比べちょっと劣るだけなのだが。イタリアのミケランジェロの大理石彫刻よりもかなり大きい気持ちがする。大プリニウスにも言及されている。チモカリスの息子ピトクリトスが彫刻家として活動していた時期に符合する。ピトクリトスはリンドスのアクロポリスの彫像を手がけたことでも知られているとの事。そしてシャンポワゾは1892年、彫像の直近からロードス島ラルトス産の大理石の断片を発見したのだが、これには「…Σ ΡΟΔΙΟΣ / …S RHODIOS」という表記があり、「ロードスのピトクリトス」に符合する可能性を示すものとして注目されたのだった。しかしながら、この断片とニケの彫像が置かれていたエクセドラ(半円状に突出した建築部位)の関係は明らかではなく、とりわけ、この断片の小さな凹部はそれが小像の台座であることを物語っているといわれている。他に、この彫像がアンティゴノス2世ゴナタスの奉納物であるとする説もある。すなわち紀元前250年代のコス島でのプトレマイオス2世に対する勝利の記念物である。アンティゴノス2世はデロス島に彫像を建立していることから、アンティゴノス朝が伝統的に守ってきた聖域であるサモトラケ島にも同様なことを行っていたと考えることは可能と言われてる。日本のM美術大学やT美大、J美大などにもレプリカはあり、見るものを楽しみの時間で包んでくれる。引用は: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』               コウジロウの独り言

                     

イタリアの街で初めて出会ったフェラーリ246GT/GTS.1974年2月のこと。

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1974年2月のイタリアのミラノだと思われる。詳しい場所はわからないのだが、フェラーリ246GT/GTSだとおもわれます。こんな写真が撮れたのも数少ないイタリアの旅の中でも本当に偶然の出会いだった。このことを述べるにはウィキペディアによる方が正確だろうと思い、そこからの引用が多くなります。それによるとエンジン数がホモロゲートの必要生産台数を満たして2.4リットルに拡大したポルシェ・911に対抗するため、より実用スポーツとするとともに開発や製造費用などを減らすために、1969年2月より1974年に246GTを製造したのだそうだ。高回転型で高価なマグネシウムとアルミ製のエンジンを用い、ホイールベースもレーシングカーと同一でアルティジャンと呼ばれるイタリアの職人たちによりオールハンドメイドで製造されたのだそうだ。運転に高い技量を求められる206GTから、最高出力の低回転化と排気量拡大によりトルクを増幅し、アルミ製ヘッド以外鋳鉄製のブロックエンジンでコストダウンし、ボディも鉄製としホイールベースの延長によってクセのない普通に乗れるクルマになったそうだ。ハンドメイドに近いのだから本当は芸術品とも呼べるはず。また燃料タンクが拡大され重量は増えたが、2割の排気量アップによりカタログ値の235km/hの最高速度まで達することができるなど当時のスポーツカーの中でも高性能を誇っていた。1971年ティーポEの途中からタルガトップの「246GTS」が追加された。2,487台のGTと1,274台のGTS、合計3,761台が作られたのだった。その後、Dino 206/246 は、イタリアの自動車メーカーであるフェラーリが製造した初のミッドシップ2座席スポーツカーである。今日ではしばしば「フェラーリ・ディーノ」と呼ばれるが本来別ブランドとされている。しかしフェラーリ自身がリアにオプションとしてferrariのエンブレムや跳ね馬を新車時に取り付 けを行なっていた事実が立証されている為(洋書 dino compendium より)、どちらでも良いというのが実際のところであろうとされている。 2018年現在でフェラーリ唯一のV型6気筒エンジン搭載市販車であり、現代V型8気筒エンジンを搭載するフェラーリの始祖的存在であるのだそうだ。フェラーリの創業者エンツォ・フェラーリの長男で1956年に夭折したアルフレードフェラーリ(愛称:ディーノ)が病床でアイデアを出したとされる65度V型6気筒DOHCエンジンを持ち、V型12気筒エンジン搭載の既存車種とも区別するため、新しく長男の名前で「ディーノ」ブランドが与えられたのだそうだ。当時のF2用エンジンホモロゲートの条件となる台数確保のために、フェラーリが設計しフィアットが製作協力をしてエンジンを作成しフィアットはディーノスパイダー、ディーノクーペという名のFR駆動2車を、フェラーリは1967年から1969年に206GTを製造し、両社合わせてエンジンのホモロゲートの台数をクリアし、レースに出場が可能となった。 なお、エンジンの鋳込みはFIATが実行、エンジンの組み立てから車体への アッセンブリーは3台共にフェラーリで行われた。 また忘れられがちなのは このエンジンを使用した二座レーシングカーdino206S等があり小排気量ながら各レースにおいて善戦している事で有る。なお、dinoはプロトタイプを除いて全てのシャーシナンバーは偶数のみを使用しているのだそうだ。いづれにしても最高のクルマだったことには間違いない。芸術品フェラーリミッドの先駆者とは初めて知ったのはそもそも恥ずかしいのだが。 (出典dino compendiumと他、ウィキペディアにより)            コウジロウの独り言