立山とは雄山(3,003 m)を含む大汝山(3,015 m)、富士ノ折立(2,999 m)の3つの峰の総称である。

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Photo by Kojiro

暑くなってきた今日この頃ですが思い出の写真がアルバムから出てきた。今から20年近く前になろうかとしている。転職してやっと落ち着いてきた頃なのか?冒険をしてみたい気持ちはあったのだが、なすがまま。妻のご両親特に今は亡くなった義父がスケジュールを綿密に企て、8人を率いていたのだから素晴らしいに尽きる。本人は片肺もなかったからか雄山登頂はできなかったのだが、皆を無事成功させたのだから凄い。そして旅費も払ってくれていた。頭が上がらない。さて大町市扇沢より立山黒部アルペンルートトロリーバス、ケーブル、ロープウェイ等乗り継いで)室堂へ。約2時間かかったか?耳はまだ大丈夫だが、若干あくびが出る。室堂より登山をスタート。一ノ越山荘で一泊し、雄山(3003m)へ翌朝向かう。岩場はまだ良かったのだが、細かい岩たちがゴロゴロ落ちて崩れてきてるような尾根を登っていく。怖いというよりも上へ上へとなぜか向かうのが不思議なくらい。我が子と妻そして妻のご両親。そして義理の妹夫婦、甥っ子二人の9人。クルマの旅が好きな自分が登山と本格的なところに来たのは何回めだろうか?重い腰を上げてこの登山に参加したのは、費用の大半を義理の両親が払ってくれていたから。高山病の経験のある自分はスプレー状の酸素仮ボンベを持ち、3000m 級の山に登るのも久々だった。そして子供にもいい思いをさせたかったから来たのである。また黒部ダムは2回めであったのだがその先の山に登ったことはなかった。剱岳山頂に行ったりするのが登山家のやり方なのだろうが、自分たちのパーティはひたすら雄山をめざしていた。途中の山小屋で一泊し、次の朝、雄山へと向かった。その山小屋がなんていう名前だったかは覚えていないと言いながら前述している一ノ越山荘。室堂から登って途中にある山荘である。富山側からのぼってきたのではなく、あくまで黒部側からの登山だった。

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Photo by Kojiro

そう言えば行きは新宿都庁近くからバスで向かったのだった。剱岳鹿島槍ヶ岳とならび、日本では数少ない氷河の現存する山である。上の縦の写真に見えているのが氷河。よく見ているとそんな大地がかつてトレッキングをした車山周辺で地面が白い小さな虫たちに覆われていたことを思い出し、虫たちから生まれてきてるようにも思えてきたりもした。標高3003mの主峰雄山の立山連峰日本三霊山に数えられ、北にそびえる劔岳と共に日本百名山に数えられている。かっては女人禁制の地であった立山連峰も、今では標高2450mの室堂まで車で入れるようになり、気軽に霊山を楽しめるようになったのである。雄山には立山の神様、となりの大汝山には白山の神様、その北の、富士ノ折立では富士山の神を祀り、日本の三霊山を兼ね備えて来たとある。雄大なその風景は昔から多くの人達を魅了して来ており、春の残雪の風景から夏の山岳登山、秋の紅葉の季節といつも賑わいを見せているそうだ。※追記ですが山頂付近で自分の子供は眠くなりお腹も痛いと言い出し、あと一歩のところで寝込んでしまった。なぜか夫婦2組だけが山頂の神にお賽銭を置いてきた記憶だけが残っている。自分が大丈夫だったのが不思議である。        コウジロウの独り言

AUTOMOBILE COUNCIL2019 on 5th April.

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午前7時45分に行徳総合病院で血液検査・診察と薬局が終了し、即座にV40で幕張に向かう。オートサロンと比較したらスペースが4分の一ぐらいしかないようである。でもピアノの自動演奏の他のドンチャカする音がないメッセの金曜日。品は確かにあった。AUTOMOBILE COUNCIL2019 は、“クルマを中心とした大人の趣味人が集う 3 日間の夢の街「PRECIOUS SPRING TOWN」”をコンセプトに会場を展開をしてるとのこと。車両展示に加え、さらに豊かに楽しむためのさまざまな商品やサービを紹介し、クルマやファッション、インテリア、グルメなど「大人の趣味人」が集う架空の街を演出。ヘリテージ(伝統•継承物)があると唱っていたが果たしてそこまで語られていたでしょうか??自動ピアノの場所あたりは、まあ春の雰囲気とちょっとした空間演出がるように思えたのですが、全体に暗い印象である。降りてすぐの「マセラッティ・ギブリ」は撮った写真が暗すぎて何段階か画像を明るくしコントラストのバランスが大変だった。「マセラッティ・ギブリ」の後は「フェラーリデイトナ」そして「ランボルギーニ ミウラ」自分はほとんどここの世界で観るのが終わった。ただフェラーリデイトナを除く2台の色はなんで暗い色だったのでしょうか?落ち着いた雰囲気は出ているのですが、エクステリアが見にくい見にくい。ただギブリのドアミラーは最高でしたね。自分がかつて江ノ島まで運んだあのギブリはフェンダーの上にアウトサイドドアミラーがつけられてたのは滑稽でならなかったのに比べればかなりいい。世界の自動車メーカーによる、各社のヒストリックカーと国内外の最新車両の並列展示は面白いと思ったが。国産メーカーにおいては戦後の手探りで創られた名車の数々から、現在に続くブランディングの礎(いしずえ)を感じられると言ってるが本当でしょうか?スペシャリストが仕上げた名車を、観て・触れて・手に入れるそんなショウの始まりです。今日・明日・明後日と3悲観日間、幕張で行われているAUTOMOBILE COUNCIL2019に是非足を運んでください。由良拓也さんの面白いクルマもありましたよ。 f:id:kohyusya:20190405191626j:plain

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自分はここに注目したかったのに、時間がなかった。精密にリサイズしたミニカー。自動車・レース関連の書籍。整備マニュアルやパーツリスト。自動車ファンにはたまらないレア商品があるとのこと。このコーナーは自動車ファンを虜にします。 そして最後に会場で「最も輝いていた一台はどれだ?!’」最後の用紙にAUTOMOBILE COUNCIL2019において最も輝いていたお気にいりの一台を投票してください。とあった。時間がなくすぐさまメッセを後にした自分。我々のの投票で最も投票数が多かった一台を「AUTOMOBILE COUNCIL CAR OF THE YEAR 2019」として表彰されるそうです。後日みんなでネットでみてみましょうね?

コウジロウの独り言

ランボルギーニ・アヴェンタドール+エイムゲインエアロパーツ・SUPER VELOCE RACING

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ご存知の通り、アヴェンタドール・Aventadorは、イタリアの自動車メーカー、ランボルギーニが2011年から2018年まで製造していたスーパーカー。もう製造してないんだって知りませんでした。そのアヴェンタドールに日本のエイムゲインのアヴェンタドール用新作エアロが製造・販売されているとの事。この写真では写ってないだが以前のパーツ価格をご紹介しておきましょう。東京オートサロン2019で出品されていたエイムゲインのエアロ。エイムゲインとは、エアロ・車高調・マフラーといった外装パーツの新作を次々と発表しているメーカーで、 業界で勢いのある会社と評判。特にVIPとユーロを取り入れたエアロはたいへん好評で、エイムゲインのマフラーに至っては、20種類以上の多彩な形状のラインナップがあり、様々なユーザーが自分だけのドレスアップを行えることで、広く利用されている。 ランボルギーニアヴェンタドールが対象で・パーフェクトキット 1,519,806円 (税込 1,641,390円)・フロントバンパー 559,926円 (税込 604,720円)・フロントスプリッター 119,981円 (税込 129,580円)・サイド 239,963円 (税込 259,160円)・リアディフューザー 279,963円 (税込 302,360円)・ステルスGTウィング 679,907円 (税込 734,300円)となっていた。当然これよりはるかにおとなしいエアロでもこんな値段となっている。

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フルエアロでしたら、小型車一台分の価格です。スペイン・サラゴサの闘牛場において1993年10月から活躍した雄牛の名からとられたアヴェンタドール。そのSVRとは?後ろのエアロを今回ご紹介できる写真がなく、OPTIONのホームページから引用させてもらおうとしたのですが今回はご遠慮させていただきました。アヴェンタドールは2016年3月で生産台数が5,000台に達し、人気が出すぎていたのだ。日本で入手しようとすると、中古車でも新車より高いお金を出しても半年以上待ちが続いたそうだ。この辺はロペライオ・チャンネル(中古車販売業)をyoutube等で見ていただければ確かなことです。ランボルギーニがAventador(アヴェンタドール)とともに世に送り出した画期的な革新技術は、ランボルギーニの代名詞とも言えるスーパー・スポーツカーの新時代到来を告げました。さらにAventador SV Coupé(アヴェンタドールSVクーペ)は、これまでのコンセプトを一新したモデルなんだそうだ。何が革新的なのかもわからなくなってきた昨今、シャープにカットアウトされたデザインは、流体力学の恩恵を享受するべく綿密に設計されたものだそうだ。一目でランボルギーニとわかる特徴的なデザインを受け継ぎつつ、「機能あってこそのフォルム」を体現しました。Aventador SV(アヴェンタドールSV)ならではのスポーティーな個性を物語るのが、そのライン。また、エアベントやリアスポイラー、バンパーに使用されている超軽量カーボンファイバーをはじめとする素材使いも、軽やかさと敏捷性を際立たせています。その上Rの称号をもらったエアロパーツはファッションだけではないですよね?

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渋谷ヒカリエに「パリのアメリカ人」はいた。

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2019年、劇団四季が届けてくれた最新作は、心も躍る上質なミュージカルだった。2015年にトニー賞4部門に輝いた『パリのアメリカ人』でした。2019年2月23日(土曜日)に義理の弟が勤めているオリンパスの人事部・組合合同の福利厚生の一環として?前から予約を入れてくれていたのである。金曜日に大風邪をこじらせ声が出なかったので、早引きをさしていただいたのにもかかわらず、翌土曜日にヨガまでサボり来てしまったのである。なぜか開演前に軽食が出るということで、ブランチを少々いただくことになった。当然、同じ会社の方々の手前なのか?皆はまだ頼んでいない飲みもの「ウィスキーを炭酸で割ったものをください」と言ったら「ハイボールですね?」と言ってこ快く引き受けてくれた。他の方々は、ジュースかビールでした。軽食「ペンネやマッシュポテト・ソーセージ」と「ハイボール」は風邪をひいてる自分と義理の妹には本当に喉越しが良かった。このミュージカルのベースになっているのは、僕が生まれた次の年の1952年にアカデミー賞を受賞した同名の映画。“アメリカ音楽の魂”と称されるガーシュウィン兄弟の代表曲が散りばめられた名作。映画の内容をさらにふくらませた物語と、イマジネーションをかきたてる新しいダンスによって、この作品は初めて舞台化され、2014年にパリで公演がスタート。翌年にはニューヨーク・ブロードウェイに進出。トニー賞で振付賞、編曲賞、装置デザイン賞、照明デザイン賞を獲得しました。だからなのか?と言わせるほど全てが完成されていた。また劇団四季の『リトルマーメイド』、『アラジン』などでも知られる、ボブ・クローリーによる舞台美術も見どころのひとつ。すべてが洗練されたアートとなって溶け合い、我々を魅了させてくれていた。あまり好きではないミュージカル。だがキャッツからライオンキングとアニメ的ミュージカルから入った自分には、ディズニーミュージカルを見てるように みせられる。戦争に傷ついたパリの街で、若者たちが新しく見出す、芸術と愛の光。深い感動を呼びおこす物語を、小粋で華やかなステップで見せられていった。贅沢なひとときを本当に過ごさせてもらった。「渋谷ヒカリエ」とすることが2010年4月14日に発表されて以来きたことがなかった渋谷ヒカリエ。地下3階から8階までの商業スペースが2012年4月26日、11階から16階までの「東急シアターオーブ」が同年7月18日に開業とされて以来来ていなかった。東京都渋谷区の渋谷駅東口に位置する東急文化会館跡地に建設された複合商業施設。そうあの五島プラネタリュームがあった場所 。2012年(平成24年)のグッドデザイン賞を受賞してるんだそうだ。とにかく踊りが凄い!背があまり高くないキャスト・ジェリー・マリガン役の松島勇気氏そしてメインのダンサー・リズ・ダッサン役の近藤合歓派とてつもないバレー的ダンシングのうまさをキワ立たせてくれていた。あのジバンシーを彷彿させるファッションにつつ積まれて、オードリのように日本人離れしたダンスは本当に素晴らしかった。ただ残念なのはあのガーシュインの名曲がもっと聞きたかった。これにはラプソディー・イン・ブルーは出てこなかったので!

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26フィートのソレイユルボンと木造船。葉山か逗子マリーナに停泊中のワンショット。

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逗子マリーナ(ずしマリーナ)は、神奈川県逗子市小坪の相模湾沿いにある複合施設。写真は今から35年ぐらい前のもの。昭和である。だから記憶も曖昧なんですが?今現在の敷地内にはマリーナ(ヨットハーバー)を中心に、マンション、レストラン、スイミングプールなどがある。この辺では最高のロケーション。僕の大好きなパームツゥリイがたくさん植えられていて、晴れた日などはハワイなんかより美しくみえる気がします。最初は西洋環境開発によって開発・運営され、今ではリビエラ・グループの運営となっているそうだ。9棟の分譲マンションとか、5箇所の会員制宿泊施設のほか、株式会社リビエラリゾートが運営するハーバー、結婚式場、レストラン、プールなどによって構成されているそうだ。ハーバーには海上係留と陸上艇置併せて約280艇のクルーザー及びボート、ヨットを置く事が出来る他、ビジター用バースもある。さらに「リビエラヨット倶楽部」でクルーザーやヨットのレンタルや新艇、中古艇の購入、メンテナンスが出来るほか、「マリンクラブ・シースタイル」の会員向けのクルーザー、ボートレンタルも行っているとの事。さらにディンギーや自転車などを借りることもできる。マンションは分譲された住戸のほか、会員制リゾートクラブの「逗子マリーナオーナーズ」が運営されている。と書いてみたものの、もしかして、写真は当時の葉山マリーナなのかもしれませんね?何故ならば陸上からも海からも逗子マリーナにはあまり行った記憶がないからです。もう30年以上も前の写真なんですからよくわかりませんね。停泊したのはソレイユ・ルボン26フィートと木造船。僕ら兄弟が乗せてもらってきたのがこの木造船。何回かコノ船はこのブログに登場はしてきてるんですけれど。なんとこのソレイユ・ルボンよりも値段は当時で1.5倍ぐらい高かったそうだ。22フィートしかないのに?木造船は作りが芸術的だからなのかもしれません。この木造船は「あぶずり港」と「旧葉山港」に停泊されていた。あの石原慎太郎の「コンテッサjr」の横に停泊してたもの。言うなればヨット乞食の我々が点々と移るのにふさわしい場所だった。ソレイユルボンは憧れのヨットだった。キャビンや内装は目を見張るものがあり、1週間ぐらいの船旅でも8人ぐらいまでだったら平気そう。なぜ葉山マリーナにシシュエーションを変えようと思ったのかというと、当時の逗子マリーナはセンターボードのキールが長いと湾内に入って行けずキールの短い船ばかりが丘にあげられていたからです。このソレルも名前の忘れたこの木造船もこの湾内ぐらいだったらオーケーだったのですがこれ以上奥に入ると本当にづっこけてしまうからです。この風景の中で子供達とわきあいあいとしてそうですが、操船してる時はいいんですが停泊している船に乗っているとすごく酔うんです。今思うとそんなに楽な操船はできなかった気がします。ただこの頃は楽しかった思い出ばかりです。     

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チタ製22フィートセイルボートクルーザーとシーボニア。

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2019年も2月がまた過ぎようとしている。まだ寒いですね。来週は暖かくなるそうで、昔ならばそわそわして春スキーに行くか、ヨットの整備にでも行くか?週末が忙しくなる。また、前回のブログと同じような写真が見つかった。ヨットハーバーのシーボニアをバックにそのマンションを臨んでいる。写真はモノクロ。船はチタ製で22フィート、品種名は不明ですが前のオーナーが昔の人には有名な作曲家だったためFon−jrと命名していた。苗字から英語読みした名前ですが。ここはあまり詳しくは言えませんのですが。今はもうシーボニアにも存在していないらしい。操船しているのは自分、つまりブロガーである。顔を出せないため、サングラスをまたかけました。ちょっと不自然ですね。こんなにこの頃操船できるなら自分がエクステリアのペイントデザインをやればよかったとつくづく思います。この着用してるものはディンギーヨット用ブーツ、当時で1万円位で一番高額。シャツはHAWAII-5-O用のセキュリティオフィサーが着ていたハワイで購入したものとサーファーパンツと機能優先のいで立ち。このブーツを履いてるとチョット格が上に見られた。暖かい穏やかな小網代湾を出た相模湾の入り口。仮称ですがチタ22フィートのエクステリアペイントのデザインは以前の会社の自分の上司にあたるチーフデザイナーが依頼されてやった。ただ2本のブラックとレッドのラインが入ってるだけだった。自分だったらこうしたいとアイデアはあったのだが、まだヨットをはじめる前だったので依頼さえこなかった。ヤマハ・ヨット・シカーラは所有していたのですがこのクルーザーのオーナーは当時の会社の社長。決してレースに出るわけでもないブルーウォーター派の自分は会社のヨット部の部長に名前だけが載っていたらしい。だから当時は5月の連休とか夏休みでこちらをオーナーが利用しない時は借りることができた。ヨット部と載っていたらしいというのはなぜか最近知ったのである。シーボニアの陸置きなので一回上げ下げするのに何千円かかっていたみたいです。自分個人では到底無理なもの。シーボニアとは三浦半島最南端のプライベートなリゾート。ヨットマンの聖地、リビエラシーボニアマリーナと正式には云うらしい。謳い文句に「関東圏とは思えないほどの大自然と穏やかな湾。マリンリゾートとして理想的な環境に恵まれた「リビエラシーボニアマリーナ」は、プロ志向のヨットマンをはじめ、海の楽しみを追求する多くの人々に愛されています」と書かれたます。シーボニアヨットクラブは、1968年創立の日本の代表的なヨットクラブの一つで、クラブ 会員数は300名の限定となっているそうだ。この自分をみてください。モノクロだけに分かりづらいのですが色合いは前回のブログを参照してください。メインセイルを汚くまとめてエンジンで出航したところ。ライフジャケットもつけずに出航。違反ですね?この絵ではわからないのですが、ちょっと風の強い日にジブセイルをストームで出かけて行ったこともあり、周囲のヘビーヨットクルーから笑われたこともあった。この日は本当に静かな海だった。ほのぼのとした温暖なサウスウィンドの空気を吸いながら、こんな1日を日本の最高のリゾートで過ごしたこともあったのです。 コウジロウの独り言

ヤマハ製シカーラとWINDSURFER製ウインドサーフィン。

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平成が終わろうとしてる2019年・一月もすぐに終わろうとしている。ここんとこ朝晩寒いですね。そんな時にちょうどいい写真が出てきた。暖かい穏やかな小網代湾でヤマハディンギー・シカーラとWINDSURFER製のウインドサーフィッンを操船してるシーンである。ヨットハーバーのシーボニアを背にウインドサーフィンを操ってる方は、当時務めさせていただいていた会社の社長。現会長。60半ばを超えた自分と同じぐらいの年だったのだろうか?そのくらいだったのかもしれません?1980年の夏の一コマ。自分だったらとても今できるわけがない。ちょうど「釣りバカ日誌」を表してるようなシーン。ディンギーは自分がオーナーとなるのだが、こんなにまともに操船をしてる写真は滅多になかった。ウインドサーフィンのセイルの形は今は3分の一が透明な素材でできているのが多く、それとは透明部部分が少なくちょっと異なる。それを除くとそんなにも変わってないのかも?WINDSURFER1980~1990年、一世を風靡したマリンスポーツ「ウインドサーフィン」。この頃でもセールのデザインはモダンである。バテンの数や形状が異なる。この頃、多くのウインドサーファーが愛用していたのが 「サーファー艇」と呼ばれる道具らしい。WINDSURFERのホームページに書かれてるのですが!「初心者~上級者でも誰もが乗りやすいシンプルなデザインのボードと言われている。風に揺らめき海に 映える色鮮やかなセイル。ウインドサーファーの憧れだったのだそうだ。時が流れ、たくさんのメーカーから新しい道具が生まれ、進化し、楽しみ方によって使う道具も細分化されました。 そして、今、ウインドサーフィンの原点、ウインドサーファー艇が復活したんだそうだ! では、何故いまさらウインドサーファー艇なのか?そんな時代の流れの中でも、「やはりあの頃の道具はよかったね」「今はもう販売してもらえませんか?」そんなお問い合わせを 多くいただいていました。まず1つは、どんな技量の方でも幅広い方が「ウインドサーフィン」を楽しめる道具だということ。風をつかみ、風と一緒に海の上を進む感覚を初心者の人に是非とも習得してもらいたいのです」写真を見てください。ディンギー・シカーラの方はセイルをシバーさせ操船が不安定になってるのにもかかわらず、ウインドサーフィンの方は、見事に優しく風を捉えてる。生簀も少なかったのか、絶好のウインドサーフィンのエリアですね?自分は静かな「シャバ、シャバ」という波の音とバシッ、シーフィーというセイルに流れる風の音が大好きでした。今から数年前の東北の震災以来、静けさを若干取り戻したものの、災害はやなものである。災害の被害はは最小限で止まったものの、この周辺のエリアは水上バイクジェットスキーでとてもうるさくなっていた。あの頃の静かな海はもう帰ってこないのか?地震のない日本が証明され、身体が許してくれればマリンスポーツに戻ってみたいものである。

コウジロウの独り言