エトワール凱旋門はシトエンDSとのマッチングが絵になる!

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Photo by Kojiro

エトワール凱旋門」は、「アウステルリッツの戦い」に勝利した記念に1806年、「ナポレオン・ボナパルト」の命によって建設が始まった。「ルイ・フィリップ」の7月王政時代の1836年に完成したのだそうだ。建設中には様々な権力闘争の影響を受けた。そしてナポレオンは凱旋門が完成する前に死去しており、彼がこの門をくぐったのは1840年にパリに改葬された時だったとある。ナポレオンは哀れである。その後1885年のヴィクトル・ユーゴー国葬における遺体安置、あるいは1919年7月14日の第一次世界大戦の同盟国の勝利のパレードなど、国家の歴史的な出来事を執り行う場所として活用されたそうだ。エトワール凱旋門の下には、第一次世界大戦の無名戦士の墓や、多くの祈念のプレートが埋め込まれ、フランスの為に亡くなった兵士たちを祈念しているのだそうだ。そんなこととは全くこの写真の1974年頃は知らなかった。雪降るサンジェルマン通りからの風景。クルマに目をやってください。シトロエンDSです。「異次元の自動車」とうわさのたったクルマ。当時としては極めて先進的・前衛的な空力デザインと、油圧動力による一種のエア・サスペンション機構を中心に統括制御する「ハイドロニューマチック・システム」Hydropneumatic System を搭載した特異なメカニズム構成で知られる。自分が乗っていたBX16バルブも同じで、車検まで持たせない窒素ガスの玉やLHMオイルの管理が大変だった気がする。DSは1955年10月5日、フランス最大のモーター・ショーであるパリ・サロンで発表された。ライバルのプジョーが小型車ばっかリだったのもあってド・ゴール大統領以下政府首脳の公用車にも広く用いられたのも記憶に新しい。このクルマは1955年、そして1957年まで生産されるロングセラーとなる。主任設計者は、ヴォワザン社出身の元航空技術者アンドレ・ルフェーブルAndré Lefèbvre(1894年-1964年)である。前輪駆動のほか、モノコック構造やトーションバーによる独立懸架機構などの先進的なメカニズムを多数導入したのだった。ボディデザインを手がけたのは、シトロエンの社内デザイナーで、トラクシオン・アヴァンや2CVのデザインも手がけたイタリア人のフラミニオ・ベルトーニである。やはりイタリア人っかと思われます。フロントガラスとAピラーの関係は本当に未来カーを連想させます。古き良き建造物と未来の乗り物。だから写真が絵になるのですね!ちょっと疑問なのは何故こんな場所に自分が立っていたのでしょうかね? f:id:kohyusya:20190705192102j:plain 写真は1974年当時の筆者、何故か自分です。 Photo by Masatomo

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