イタリアの街で初めて出会ったフェラーリ246GT/GTS.1974年2月のこと。

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Photo by Kojiro

1974年2月のイタリアのミラノだと思われる。詳しい場所はわからないのだが、フェラーリ246GT/GTSだとおもわれます。こんな写真が撮れたのも数少ないイタリアの旅の中でも本当に偶然の出会いだった。このことを述べるにはウィキペディアによる方が正確だろうと思い、そこからの引用が多くなります。それによるとエンジン数がホモロゲートの必要生産台数を満たして2.4リットルに拡大したポルシェ・911に対抗するため、より実用スポーツとするとともに開発や製造費用などを減らすために、1969年2月より1974年に246GTを製造したのだそうだ。高回転型で高価なマグネシウムとアルミ製のエンジンを用い、ホイールベースもレーシングカーと同一でアルティジャンと呼ばれるイタリアの職人たちによりオールハンドメイドで製造されたのだそうだ。運転に高い技量を求められる206GTから、最高出力の低回転化と排気量拡大によりトルクを増幅し、アルミ製ヘッド以外鋳鉄製のブロックエンジンでコストダウンし、ボディも鉄製としホイールベースの延長によってクセのない普通に乗れるクルマになったそうだ。ハンドメイドに近いのだから本当は芸術品とも呼べるはず。また燃料タンクが拡大され重量は増えたが、2割の排気量アップによりカタログ値の235km/hの最高速度まで達することができるなど当時のスポーツカーの中でも高性能を誇っていた。1971年ティーポEの途中からタルガトップの「246GTS」が追加された。2,487台のGTと1,274台のGTS、合計3,761台が作られたのだった。その後、Dino 206/246 は、イタリアの自動車メーカーであるフェラーリが製造した初のミッドシップ2座席スポーツカーである。今日ではしばしば「フェラーリ・ディーノ」と呼ばれるが本来別ブランドとされている。しかしフェラーリ自身がリアにオプションとしてferrariのエンブレムや跳ね馬を新車時に取り付 けを行なっていた事実が立証されている為(洋書 dino compendium より)、どちらでも良いというのが実際のところであろうとされている。 2018年現在でフェラーリ唯一のV型6気筒エンジン搭載市販車であり、現代V型8気筒エンジンを搭載するフェラーリの始祖的存在であるのだそうだ。フェラーリの創業者エンツォ・フェラーリの長男で1956年に夭折したアルフレードフェラーリ(愛称:ディーノ)が病床でアイデアを出したとされる65度V型6気筒DOHCエンジンを持ち、V型12気筒エンジン搭載の既存車種とも区別するため、新しく長男の名前で「ディーノ」ブランドが与えられたのだそうだ。当時のF2用エンジンホモロゲートの条件となる台数確保のために、フェラーリが設計しフィアットが製作協力をしてエンジンを作成しフィアットはディーノスパイダー、ディーノクーペという名のFR駆動2車を、フェラーリは1967年から1969年に206GTを製造し、両社合わせてエンジンのホモロゲートの台数をクリアし、レースに出場が可能となった。 なお、エンジンの鋳込みはFIATが実行、エンジンの組み立てから車体への アッセンブリーは3台共にフェラーリで行われた。 また忘れられがちなのは このエンジンを使用した二座レーシングカーdino206S等があり小排気量ながら各レースにおいて善戦している事で有る。なお、dinoはプロトタイプを除いて全てのシャーシナンバーは偶数のみを使用しているのだそうだ。いづれにしても最高のクルマだったことには間違いない。芸術品フェラーリミッドの先駆者とは初めて知ったのはそもそも恥ずかしいのだが。 (出典dino compendiumと他、ウィキペディアにより)            コウジロウの独り言