1972年頃の大間・函館フェリーの絵葉書

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スキャニング by Kojiro

絵葉書である。学生時代の実家に出したハガキが自分の紙焼きボックスから出てきた。日付を見るのを忘れたが、1972年の7月だろう。当時は青函連絡船が頻繁に運行しており、学生だった我々のバイト代で旅行する者たちには高額のフェリー代だった為、下北半島の大間港から函館のフェリーを利用した。層雲峡の写真にあったスカGで乗船。帰りは福島港から出るフェリーだった記憶がある。こちらのフェリーはかなり小さかった記憶がある。福島漁港は渡島半島の最南端に位置しており、津軽海峡に面している。白符地区は北海道におけるニシン漁発祥の地であり、福島町は水産業を中心に栄えてきたと紹介されている。この漁港近くの漁師夫婦にたらふくイクラとスジコの間のご飯をご馳走になった記憶があり、住所をもらわなかったことや調べてこなかった実情で、40年以上経った今でもお礼が言えていない。記憶だけが残っている。そのうち紹介できるかもしれませんが?モノクロのキャビネの紙焼きだけは残っていた気がします。そうその当時の自分達とその御夫婦の記念写真を!まあ40何年も経っている。自分の親父も亡くなっているし、北海道に新幹線も通ってる時代。世の中も変わりました。ただし、大間港から函館間のフェリーの所要時間は今も変わってないようである。90分、それしかかからないのである。海峡を渡るのがその時間しかかからない。当時としては交通網の発展してない時代だったのですが、青函連絡船よりはるかに安く、しかも所用時間のかからない、とてつもなくリーズナブルな交通手段だった。下北半島北端で津軽海峡に面する位置にあり、北緯41度33分・東経140度54分。対岸に位置する北海道の汐首岬との間は僅々18km足らずに過ぎないとのこと。本州・北海道間の最短地点なのである。下北半島で行く途中には恐山もあり、かなり面白い旅だった記憶と数々の写真が残っている。岬南方には大間町の市街地及び大間漁港が展開する。潮流の速い地域であり、周辺は良好な漁場で、マグロの一本釣りの名所として知られる。トラックなどの物流の利用も多く、相変わらずまた夏場の北海道ツーリングなど北海道観光のレジャー用としても利用されている。情報によると函館便を運航している東日本フェリーの撤退報道がなされ、航路休止の危機となったが、2008年12月から1年間の暫定として道南自動車フェリーに運営譲渡の上、運賃が増額となったらしいのですが運航は続けられることとなったらしい。その後、津軽海峡フェリーが同航路を運航していると記述されている。思い出すに自分には一人息子が、よく朝帰りをしたり家の帰りが遅いことが多い。「どこいってたの?」なんて気にしたたりする自分が今ここにいるのだが、その当時の自分は「ちょっとドライブに行って来る」と言って1ヶ月も帰ってこなかったことを考えると自由人だったことは否めないようですね!            コウジロウの独り言