旧系国電40系車両の希少写真。

f:id:kohyusya:20180816143413j:plain

Photo by Kojiro

急に昔の写真(蔵出し写真)に舞い戻ります。多分クモハ40033です。国分寺から東京競馬場前駅行きの電車である。廃止直前時点において、閑散時は武蔵小金井電車区所属のクモハ40071, 074のどちらかが単行で運用されていたのだそうだ。この辺言われてもクーラーのない板の床ぞこの電車。どことなく油臭かった気がします。現在の20代の方々にはとても信じられない板製床。その油臭さは本当に印象的だった。窓を開ける機会が多く床下の台車のブレーキ臭もしてきていたのだと思う。ラッシュ時及び競馬開催時には101系の5両編成で運行されていたのだそうだ。なお、101系の検査時には中原電車区より72系の5両編成を借り入れて運行していたとのこと。また、競馬開催日には東京駅や総武本線からの直通列車が101系6-7両で運転されたこともあったそうだ。この写真はもっと前なのかもしれませんが?「クモハ40」と書かれている。フロントの表示のクモハ40がその印字なのか不明なのだが?乗車している子供達を見てみると、今の鉄道オタクのような印象でもあり、最終日の記念電車に違いないと思われる。40 系車両について色々見てきたのですが、その中で クモハ 40054・クモハ400 74号車はイベント用 車両 として平成 まで活躍。もっとも15年以上前のことであるのだが。掲下河原線の旅客路線としての終着駅であり、南武線府中本町駅の南方200m程の場所に位置していたのも事実。同駅に近かったが面倒なことに乗換駅ではなかったのだ。東京競馬場の最寄り駅の一つであった。競馬場の観客には、国分寺・東京方面からの観客は当駅を、立川・川崎方面からの観客は府中本町駅を、京王八王子聖蹟桜ヶ丘・新宿方面からの観客は府中競馬正門前駅を、と言う具合に使い分けられていたようである。なお、「東京競馬場前」の駅名が国鉄で最も長い駅名であった時期があったらしい。当駅は武蔵野線が開業した日に下河原線(国分寺 - 北府中 - 東京競馬場前間)廃線に伴って廃止された。下河原線が武蔵野線に置き換えられたのと同様、この駅の機能は府中本町駅に置き換えられた。廃止後、跡地の多くは「下河原緑道」と呼ばれる遊歩道に整備されたり、団地の敷地に利用されたり、一部では記念として線路が残されている所もある。廃止後も、しばらくは中央線から武蔵野線方面へと南進する痕跡を確認することができていた。子ども心になぜか覚えいたのである。その後西国分寺駅周辺の再開発に伴い痕跡はあらかた消滅した。それでもGoogle Map/Earthなどで付近の航空写真をよく見ると、府中街道西側の建物の立ち方などに、まだわずかに残っているらしく、駅施設では、国分寺駅にはしばらく短い島式ホームが残されていた。しかし1988年の駅ビル工事に伴い、完全に撤去された。レールは中央線の国分寺駅 - 西国分寺駅間において側線のようにして残っていたのですが、2009年1月下旬に行われた架線柱工事において撤去され、最後の廃線跡も消滅したのだそうだ。これは同線の廃止後も国鉄の教育施設中央鉄道学園への引き込み線として利用されていた線路の一部で、学園の廃止後も中央線に沿っていた部分が草に埋もれながらも残されていたものであった。(一部・ウィキペディアから引用) コウジロウの独り言