30型ニッサンローレルは上高地の清らかな風を感じていた。

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Photo by Kojiro

上高地帝国ホテル。その前になぜかガラガラだった道路脇の駐車スペースに一台のエレガントなクルマが写っている。久々チョットピンボケの写真で申し訳ありません。クルマの向こうにいた兄の画像を消すのにチョット苦労した写真なんですが、写ってるのがC30型ニッサンローレルである。自分が初めて免許を取ったときのクルマである。当然「所有者は親、使用者が自分」という関係のクルマ。今では若い人でもローンの普及によりボンボン買える時代なのですが,当時はこの形の登録が多かった。1968年にデビュー。水冷・直列4気筒SOHCのエンジンを持つこのクルマは旧プリンス設計のG18型を搭載していた。なんと日本初の1800CCである。所得水準の向上や高速道路の普及により高速安定性の高いクルマが要求されだした頃のクルマ。スーパーソニックライン・ブルーバード510よりひとまわり大きいシャシーで発売当初は4ドアのみ。Aピラーの傾斜角度が物語るように、当時としては本当に進歩的な技術の結集されたクルマだったこと。そしてその一つが4輪独立懸架であった。ハイ・オーナーカーの第一人者であり、バンを持たないハイソ・カーとも言われた。スバル1000などには技術的に感化されたのかもしれませんが、当時のプリンスとニッサンの結晶と言えるクルマの誕生だったのです。T美大の時代。ヘビー級のボクサーのモハメッド・アリの運転手をしてから後に運転の好きだった自分がこのクルマでラリーのオフィシャルとして活躍もしたこともあった。ただ後輪がこの独立懸架のため車体が下がってしまい、デフをよく擦っていたのも40年も前のお話なのですが、記憶に新しい。環状8号線横の校内の中庭・楕円形サークルでタイヤ交換をしたり、ブリジストンのロゴにチョークで塗ってタイヤのクルクルを見ては楽しんでいた時代である。ホイールがアルミまで手が届かなかったのでキャップを外したとの差別化を図るためそんなこともしてたのです。「コラー!」と以前のブログにも書いてますがプロダクト・デザインの先生から怒られていたこともありましたっけ。トヨタマークIIがライバルでワイドバリエーションのマークIIには足元には及ばなかったニッサンローレル。後半、「ゆっくり走ろう」尾崎潔彦のCMでハードトップが2000CCで誕生。世の中をリアのハミングライト同様騒がせた。この上高地。交通安全と自然環境保護のため、現在では自家用車(二輪車、レンタカー含む)の入場が規制されており、路線バス・タクシー等許可のある車両のみ通行が可能になっている。上高地入口釜トンネルより通行禁止のため、「沢渡駐車場」または「あかんだな駐車場(平湯)」にてシャトルバスやタクシーで行くことになる。参考まで通行可能時間…午前5時~午後7時(7月~8月は午前5時~午後8時)となっている。ホームページには「神の郷、神河内と呼ばれ聖域だった頃から変わらぬ地、上高地上高地帝国ホテルはその自然は神秘的なまでに美しく、訪れる人々を魅了しつづけています 」と書かれている。「清らかな梓川、気高き穂高の山々、静寂なたたずまいの明神池…。季節が織りなすハーモニーの中で過ごす時こそ、最高の贅沢。」だったことは確かなことである。我々クルマ3台はこれから飛騨高山に向かって行った。  コウジロウの独り言