一枚の写真からFoad 20M TM Coupeを探し当てた?

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とにかく、上記のセピア色した四つ切りの紙焼きのテールランプのクルマを探した。1974年2月に欧州旅行した時の写真である。当時は卒業旅行でヨーロッパの美術館巡りをするツアーで、前にも述べたように現地に着くとFreeだった。足を入れた国は、アンカレッジ経由でイギリス・ヒースロー空港そしてイタリアに飛び、そこからバスのツアーが始まった。立ち寄った国が多くありイタリア・スイス・ドイツ・ベルギー・オランダ・フランス・イギリス・バチカン市国までに及んでいた。一つこの写真で気になったのが、イタリアのフィアット・クーペに似ている。(そうでもないかモ?)ただしナンバープレートとがイタリアではないことに気がついたのだ。そこにたどり着くまで一週間以上かかってしまったのである。CGの自動車アーカイブの60・70年のヨーロッパ車をを調べたりしていたところ、やっとグループ親会社のコーダーの金子氏に聞くことが出来たのである。彼はGoogle画像ですぐに探し始めてくれた。NO.プレートからドイツのクルマなのが発覚したのだ。それまでにはスイスのクルマまでをも探していた自分。イタリアのNO.プレートでない事は分かっていたのだが、現在とも若干違っているであろうそのデザインや表示なのだが、NOプレートからはスイス・ベルギー・ドイツ?のいずれかである事は自分でわかってきていた?わからなくもなかったのだ。Foad 20M TM Coupeと彼はすぐに選定してくれた。凄いの一語に尽きる。正式名称=Ford 20 M TS OSI Coupé。ミニチュアカーから入ってる彼はディテールに拘り、選定も鋭かった。アウトサイドのミラーが普通と違うとか、リアブレーキランプの間のこの丸は何?とか?アバウトな全体感で観てる自分とは大違いで視点が違っていた。でもそんなクルマの写真を撮影していた自分も凄かったと改めて思う。先行投資して入社前に2年ローンを組んで旅行した甲斐はあったとつくづく思う。詳細を記載しよう。オフィツィーネ・スタンパッジ・インドストリアリ(Officine Stampaggi Industriali 、OSI)は、元ギアの社長ルイジ・セグレ(Luigi Segre )と自動車部品製造のファーガット(Fergat )出身のアリゴ・オリヴェッティ(Arrigo Olivetti )が1960年にトリノで設立したコーチビルダーだった。のだそうだ。OSIは、ギアから独立したニッチ製品に特化したデザイン子会社を意図しており、元々それまで一品製作を行っていたギア社がフィアット社向けフィアットのボディを量産するために設立した企業だったそうです。最初から一定規模の量産を目指している点で、その他のカロッツェリアとは起源が異なっていた。後年OSIはギアから独立して独自デザインの車を発表するようになったと言われている。この企業は、アルファロメオフィアット、フォードの車を基にしたカスタムビルト車を製造し、短命企業と言わざるを得なかった、のだそうだ。最初の製品の一つはギアに在籍中の若かりし頃のトム・ジャーダ (Tom Tjaarda) がデザインしたイノチェンティ・950 スパイダーもそうであったそうで、イタリア国外で最も知られたOSI製のモデルは、ドイツ・フォードのタウヌス20Mを基にしたフォード・20M TS クーペだけなのかもしれないと言われている。この車はフォルクスワーゲン・カルマンギア Typ 34 を基にしたタイプ3のデザイナーとして知られるセルジオ・サルトレッリ (Sergio Sartorelli) によりデザインされた。約2,200台のフォード・20Mベースのクーペが製造され、2010年の時点でこのうちの約200台前後が現存するといわれている。1968年5月にサルトレッリがOSIのデザインオフィスをフィアットのそれに編入させて業務を清算されたそうだ。OSIはプレス加工品と産業用機器の製造業者として企業活動を続けているのだそうだ。当然、ベルリンの壁がある西ドイツ時代です。      コウジロウの独り言