ライン川のネコ城(Burg Katz)

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Photo by Kojiro

ライン川の船上でドイツの白ワイン飲み競争を1974年2月にJ美大の方とやっていたら何と上空に城が聳え立っていた。写真のネコ城(Burg Katz)である。ネコ城はドイツ連邦ラインラント=プファルツ州ザンクト・ゴアールスハウゼンのライン川上流沿いにあるお城。自分のキャノン・ペリックスの200mmのFDレンズに収まってその迫力がせまっていた。当然、その当時の紙焼きは月光3号で8×10。自分のアパートで焼いたか?T美大の暗室にお世話になっていたかもしれない。このお城を最近、西ドイツ政府から日本人男性がホテルにする目的で購入し修復したらしいのだが、世界遺産ライン渓谷中流上部に含まれたことで頓挫したのだそうだ。一般公開はされていなかったが、2016年7月28日放送のNHK総合『所さん!大変ですよ』で所有者が取材を受け内部を公開。その番組を見て自分は驚いたのだった。このお城の写真がある。と思ったからである。例の自分で焼いていた紙焼きをマックでスキャンすると同時にこのお城について調べた。ネコ城はその名のとおり“猫”という意味があるそうで、その理由には二つのことが挙げられている。この城を建てた人物が猫のような顔をしていたという事が一つ目の理由。二つ目は、城の一部が猫に似ていたという事になるそうだ。また、城を建てたカッツェンエルンボーゲンのヴィルヘルム2世(カッツェンエルンボーゲンはドイツ語で『猫の肘』の意)の名前にちなんでいるという説も浮かび上げられる。すべて滑稽だと思いませんか?カッツェンエルンボーゲン伯爵ヴィルヘルム2世により、1360年から1371年ごろに建設されたのがこのお城だそうだ。 1356年に建設していたトリーア大司教のマウス城(正式な名称はトゥルンブルク城だが、猫に睨まれている事から)に対抗する為に建設されたとも言われている。反対側にはラインフェルス城があり、共に川の通行料を取っていたとも言われている。1479年にカッツェンエルンボーゲン家が断絶。この周辺の城と共にヘッセン=カッセル方伯領とヘッセンダルムシュタット方伯領との間で争奪戦が行われたのだった。1626年と1647年には包囲され、一部破壊されたのだった。破壊されたところは補強もされた。その繰り返しが行われたようだ。1692年にルイ14世の征服によってラインフェルス城の包囲中に城が破壊された。何回繰り返せばいいのだろうか?七年戦争では、1758年にフランス人に征服され、1763年にまた戻った。1806年にナポレオン・ボナパルトに主塔が破壊された。破壊されても破壊されても修復され美しい風貌を保っている。この美しいお城がそびえているライン川沿いは本当に素晴らしい風景を演出している。人工の物と自然が融和した歴史がそんなに深いとは今更ながら覚えた。そのライン下りで飲んだくれ,第九を『フロイド・シェーネル・ゲッテルフンケン』なんて大声で騒いでいた自分達が何故か恥ずかしい!1896年までそのままだったらしいのだが購入者が修復を開始し、1998年に完了した。とされている。また此のライン下りに行きたいものだ!    コウジロウの独り言