DOHC10バルブVOLVO 850とヘッドランプワイパー。

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Photo by Kojiro

ボルボ・850とは、日本で1992年モデルとして発売されたボルボの中型車。セダンとステーションワゴン(エステート)があった。写真は850セダンGL。240シリーズの後継機種として約5年の歳月をかけて開発された。1993年まで併売されたエンジン横置きのFWDレイアウトを採用し、直列5気筒エンジン(なんと基本的にはポルシェが開発に関与した960の直6から1シリンダー減らした設計なのだそうだ)を搭載。以後のボルボ各社の設計に大きな影響を与えたモデルである。8のボディに5気筒の5。2500CCの排気量だったのだが、BMWの850と比較され、5,000CCなのか?なんて聞かれもした。FFレイアウトを採用。FRモデルの長所であったサイズのわりに驚異的に小さい回転半径という特色は失われたのだそうだが。当初はボルボセダン伝統のアメリカ向けに見られる6ライトスタイルのセダン一種であったが、1993年にはワゴンモデルが追加され、特に日本ではセダンを凌ぐ人気だった。本国スエーデンという北欧でFRだったとは信じ難いのだが?トヨタスプリンターカリブが真似たのか微妙な時期なのだが、ルーフまで達する縦長のテールライトのデザインが印象深かった。自分はトヨタやホンダの縦型リアランプにしたモデルが多かったのは模倣されたのではなく気のせいでしょうか?エンジンバリエーションは全て直列5気筒。日本では最初にDOHC20バルブ搭載車「GLT/2.5 20V」が発売。続いてDOHC10バルブ「GL/GLE/S2.5/2.5」、ターボチャージャー付(チューンにより850ターボ、T-5、2.5T、T-5R、Rなど)と拡充された。時代によってバンパーのFRPのデザインガ異なり、自分のは初期型だったようである。シートからエアーバックが作動したり、画期的な事が多かった。リアシートの肘掛けを倒すと5歳までと提言はされていたのだがチィルドシートにもなり、セダンなのにトランクスルーなのも重宝した。タ−ボ車は自分は知らない。チューニングはポルシェが担当したそうだ。ミッションはアイシンワーナー(アイシン精機)。新設計された850は「従来のボルボとの共通点は事実上ゼロ」といえるほどのニューモデルだった。「何台重ねても』と言う、当時の安全第一だが鈍重な固いイメージが強かったボルボを180度変える「クラッシャルボディ』の構造のモデルだった。また、850の戦略的なBTCC(英国ツーリングカー選手権)の参戦によって「ボルボ=スポーティー」という現在まで受け継がれる確たるイメージを定着させ、ステーションで参加させ世界的に話題になった。特に市販車としては限定スペシャルモデルの850T-5R、850R(いずれもターボモデル)は即完売するなど、これまでにない大ヒットとなった。この写真を見てほしい。場所は福島県原村近くの水織音の里。恩師の山荘近く。何故か自分のドライブ写真は、ダートが多いのにお気づきだろうか?フロントライトワイパーである。この頃はメルセデスとこのボルボが付けていたのである。当然全車ではなく高額車両に多く見られた。後のモデルには着いていたのだが、自分が乗っていたメルセデスのW124には着いてなかった。泥や雪等付着した場合に落とす役割であったのだが、殆ど活躍する場はなかった。ウインドーにウォッシャー液を流す時に同時に動いてしまう為、ワイパーゴムの減りが早かったのを覚えている。そして850が日本市場で1990年代のステーションワゴンブームの火付け役となり、スバル・レガシィ日産・ステージアなどの日本の自動車メーカーのステーションワゴンに大きな影響を与えたのだった。1997年、それまでのボルボとしては異例にも6年という短命で850という名称はその生涯を終えた。マイナーチェンジを受けてS70/V70と改名されたのだがドア以外、すべてデザインが違うと言われても、同じ様にしか見えなかった。今のクルマには見られない、面白いヘッドランプワイパー。30年後!どう言われてるのでしょうか? コウジロウの独り言