フランスの画家ベルナール・ビュフェを富士の麓で!

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Photo by Kojiro

静岡県長泉町東野の「クレマチスの丘(スルガ平)」にあるベルナール・ビュフェ美術館。フランスの画家「ベルナール・ビュフェ」の作品を収蔵・展示するために、岡野喜一郎 (1917-1995)によって1973年11月25日に創設された美術館である。以前はリトグラフを我が家にも展示してたのだが、訳あり親戚の家にある。妻が静岡県出身という事もあり、妻のお父様のコレクションの一枚がビュッフェのものだった。我が家にはプリントだが何枚かのビュッフェの額が吊りされていて洗面所の3面鏡に写るピエロは圧巻である。独特のフォルムと描線。白と黒と灰 色を基調とした沈潜した色。「私はビュフェの虜となった」と岡野喜一郎著「ビュフェと私」1978年4月(ベルナール・ビュッフェ美術館HPより)が言ってる様に、我々夫婦まで虜になってしまっているにかもしれません。伊豆方面にドライブすると必ず寄る中堅地点でもある。当然、「クレマチスの丘」で軽食もとれる。この美術館の収蔵作品数は油彩画、水彩画、素描、版画、挿画本、ポスター等あわせて2000 点を超え、世界一のビュフェコレクションを誇っているとのこと。このビュッフェの戦後の虚無感や不安感を描き出した表現は、岡野氏の心に深く刻 まれたのこと。その後、各年代の代表作の蒐集を続けた岡野氏は、この稀有な画家を20世紀の時代の証人として残すため、「ひとりの天才の才能を通じ、この大地 に文化の花咲くことをのぞむ」という願いのもと、故郷に近いこの地に美術館の創設を決意したらしい。何を隠そう自分も影響を受けた一人かも知れません。そのうちこのブログでもご紹介したいのですが、直線の集合体をベラム紙に描きその描画をスキャンし、写真で撮ったRGBをCMYKに置き換え、プリントする作品を10数枚創作している。今はデジタルになってMacがあればその作業も出来るであろうが、数十年前の当時は板橋の凸版印刷のグラフフィックアーツの製版の方々ににお世話になって10枚づつ位、B2校正刷で制作して頂いていたのである。要はプリントメディアもリトグラフ同様表現の一部であると自負して創造に至ったのであり、その理解を求めようとした。ただ、ビュッフェの表現の線と面には到底追いつけるものではなく、ただ小綺麗なグラフィックイラストレーションに終わっているのかもしれないと考え、少しあきらめも生じていた。その表現した作品はまた後日ご紹介することにして、この美術館のお話に戻します。この建物の設計は「建築:菊竹清訓建築設計事務所」。何かファサードがカッコいい。設計者・菊竹清訓氏は独自のデザイン論である『代謝建築論 か・かた・かたち』を掲げ、黒川紀章氏らとともに建築と都市の新陳代謝、循環更新システムによる建築の創造を図ろうとする「メタボリズム」を提唱していた。2000年にユーゴスラヴィアビエンナーレにて「今世紀を創った世界建築家100人」に選ばれている。1970年の日本万国博覧会大阪万博)では『エキスポタワー』、1975年の沖縄国際海洋博覧会(沖縄海洋博)では『アクアポリス』を設計し、1985年の「国際科学技術博覧会(つくば科学万博)」ではマスタープラン作成委員としてBブロックの会場計画および外国館の設計を担当、2005年「日本国際博覧会愛知万博)」では総合プロデューサーとして会場計画を担当するなど、日本国内で開催されてきた国際博覧会にも深く関わってきた方である。デザインが格好いいのでご紹介したのだが、一つ皆さんにお伝えしたいのは、美術館側には失礼なお話なのだが、常陳がすべてご紹介されている時にこの美術館を訪れた方がいいという事である。何かイベントや特集が組まれていると「ベルナール・ビュッフェ」は堪能出来ないからである。見たい絵画が見れない時、「こんなに悲しい事なのか?」と何回も実感してるからなのです。特にビュッフェ美術館は多い気がします。間違いだったらゴメンナサイ。

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