「クジラ」の愛称を持った4代目トヨタ・クラウンと モハメッド・アリ。

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Photo by Kojiro

1972年に初来日。この年の4月1日に東京・日本武道館でマック・フォスターと対戦し、15回判定勝ちを収めたモハメッド・アリ。その数週間前。神宮外苑でトレーニングを終えて送迎のクラウンに乗ろうとしているアリ。自分は普段は3代目クラウンのハードトップに乗りマネージャーを乗せていた。この日だけは何故か神宮までのせて行った。一緒に写ったいるのは当時ICUに所属していたO氏。やがてJALパイロットになるのであるが、世の中狭いもので自分の息子の友達のお父様もJALパイロットであり、同僚である事を知らされ数十年前に驚かされた。この時のアリの相手はマック・フォスタ−で、試合のチケットのナンバーリングやPRESS CARDのデザイン等は自分がやった記憶がある。今覚えているのは、アリと共にしていた自分のネクタイにサインを貰ったこと。ただし残念なのはそれが何処へ行ったかまるで解らなくなってしまった事である。実家の洋服ダンスに架けておいたのに不明になった。アリが恋人の『ズーリー。ズーリー』とエレベータ−から呼んでいた事が耳から離れない。今だから言えるお話かも知れませんが。英会話での電話での応対でこの頃覚えたのが「Now Calling Mr.Who?Miss. Who?」でした。もう一人の通訳がよく事務机の前で言ってるのを聞かされました。クルマのお話にしましょう。そう、このクラウンのボディバリエーションは4ドアセダン、2ドアハードトップ、カスタム(ワゴン)、バンの3種でした(車両型式はハードトップがS7#系、それ以外がS6#系)。このモデルからは「トヨタ・クラウン」となったそうだ。「スピンドル・シェイプ(紡錘形)」と呼ばれる、丸みを帯びたスタイルから「クジラ」の愛称を得たようだ。高速性能や安全性を意識して曲面を多用した車体や、組み込み式のカラードバンパーを特徴とする斬新なスタイリングは、先代のS5#型以上に個人ユーザーへアピールするものとなった。時代を先取りしたスタイリングは当時の保守的なユーザーに敬遠された。ウィンカーをグリルの最上段にするなど、先頭のボディを絞り込んだデザインによってなのかエンジンルームへの通風が不足、夏季にオーバーヒートが続発したことが多くあり、ボディーの先端形状の見切りの悪さから、取り回しに支障が出たことによる不評が相次いだそうだ。この同時期にモデルチェンジしたセドリック/グロリアに販売台数で逆転されたことも有名なお話で「クラウン史上唯一にして最大の失敗作」と言われた。ただ、自分達はアリ同様マックフォスターの送迎の時のマークII GSSやロータリー・サバンナ等を運転出来ている事に鼻が高かった。午前3時頃、一人家に帰ろうとしたロータリーサバンナで井の頭通りの交差点で5〜6台一挙抜きしようと突っ込んで歩道に乗り上げて事故りそうになった事も記憶に新しい。これも今だからお話出来るんですよね。ロータスヨーロッパ/ロータリー・コスモ/エンジンが壊れていたセンチュリー等も運転出来たのはまるで夢。但しロータスヨーロッパはプロモータ−の社長のものだったと思うが、ニュージャパンからホテル・オークラまで運転するも、うるさいのと背中が暑かったのを覚えている。           コウジロウの独り言