スタ−ト直後の事故。富士逆回りスピードウェイ。

f:id:kohyusya:20170818184138j:plain Photo by Kojiro Photo data Canon Perix FD 200 F5.6

あの超高速30度バンクで注目していた富士スピードウェイ。6kmのフルコース以外にも戦いの場があった。後のF-1GPを想定してバンクを使わないレイアウトを創った。ストレートの終わりで右に急転回し、バンクを通らずに元のコースに合流する1周4.3kmのショートコースである。現在の国際コースは4.563km。初期にはこのショートコースをフルコースとは逆の左回り(反時計回り)で使うことも多かった。バンクを使わない分安全だなんて思われていたのだが、長い下り勾配で続く第1コーナー(フルコースの最終コーナー)への突っ込みにはかなりの度胸が必要だったそうだ。ハイスピード勝負がどちらにしても売り物であった。鈴鹿サーキットから4年後の1966年に、富士スピードウェイは開業。富士スピードウェイ鈴鹿と対照的な性格で半世紀にわたり「東の富士、西の鈴鹿」と呼ばれた。日本を代表する国際レーシングコースの地位を確立。特長は超高速タイプの広大なレイアウト。計画の発端がアメリカ式のオーバルトラックを想定したものだったらしいのだが、御殿場市近郊の駿東郡小山町という丘陵地のため、完全なオーバルの建造は難しく、中・高速コーナーを組み合わせたロードサーキットの形に落ち着いていたのだ。アメリカ式を本当の意味で目指した名残が、超高速の右曲がり30度バンクだったそうだ。1972年の日本オールスターレースの様子。レースカーの向きとコントロールタワー、メインスタンドの位置に注目。富士スピードウェイではいわゆる“逆まわり”でレースが行われることも多かった。ただ前哨戦だったのかよく覚えてないのだがセリカには見崎氏、カローラには高橋晴邦氏、サニーには高橋国光氏が乗っていてこのような事故が起こっていた。この次のメインレースにサバンナがスカイラインGTRに勝つのである。レース場には行かないとわからないドラマがある。                                  コウジロウの独り言