モデル・タレント・イラストレータのMSさんとBMW2002と朝潮埠頭。

f:id:kohyusya:20170725185802j:plainPhoto by Kojiro

BMW・02シリーズは、ドイツ(当時は西ドイツ)の自動車メーカーBMWが1966年から1977年にかけて製造、販売していた小型2ドア・セダン。日本では「マルニ」の通称で呼ばれた。最も生産台数の多かったのが2,000ccエンジンを搭載した2002だった。BMW2002A(1971年型)。1968年、BMWは、すでに4ドア・モデルBMW2000で採用されていた、、1,990ccの水冷直列4気筒、SOHCエンジンを載せたものをBMW2002として発表していた。今思えば、320とか1980年代に出ていた3シリーズのBMWは6気筒の320に対して4気筒の318では遥かに6気筒の方がなめらかなエンジンの印象であったのに、1970年代のBMWが4気筒がベースだったなんて凄い偏見を自分は持っていた。4気筒の318はギアノブがアイドリング時にブルブル震えが来てうるさかった印象だったからである。ノークラッチでも感じたのだからその差は歴然としていた。 ボディ・サイズは、BMW1600-2と同じく、全長4,230mm×全幅1,590mm×全高1,410mmで車両重量は990kgであったが、アメリカ向けモデルは全長4,470mmとなっており、同時に車両重量も1,088kgとなっている。また、A/T車はM/T車よりも20kg重い1,010kgとされていた。とにかく今のラグジャリーなBMWよりもスパルタンな印象だった2002。ツーリングカー選手権にてポルシェと激闘を繰り広げてきたBMWは、航空機エンジンで培ってきたターボチャージャーを採用し、ポルシェを退けた。1973年、BMWはついに市場にBMW2002ターボを発表した。 BMWとしては、出力アップと共に省燃費をも両立させる技術として発表したのだが、実際には電子制御もされていない機械式インジェクションシステムのうえ、インタークーラーも付いていなかったため、省燃費エンジンとは程遠く、第一次オイルショックの影響もあって1,672台で生産中止となったらしい。 ボディデザインとしては、フロントバンパーを排してエアスポイラーを装備し、そこには逆さ文字で「TURBO」と書かれたステッカーが貼られていた。これが前を走るクルマのルームミラーに映し出されることで、前走車のドライバーにプレッシャーを与えていたと言われる。覚えてますか?日本車にもこの類いのスタッカーが貼られ、自分のスカイラインタ−ボにも貼ってあったのが記憶に残っている。写真は1980年代もの。BMWはヘア・メイクアーティストのT氏の物。シートは運転席だけRECAROだったのを覚えている。T氏は自分が生まれた神田の浜田病院と同じ病院で生まれた同じ年の方だった。面白いことに生まれた月も同じだったと記憶している。次にやって頂いたメイクアップアーチストのO氏(他のオフィス)も同じ病院で生まれたのを知り、何か深い縁を感じた。そして「朝潮埠頭」。菓子折を持って行って撮影許可を当時は取れた。今も自分は何でも屋であるが、当時は定着し出したロケーションサービスがあった。ただ自分の化粧品メーカーではその使用実態がなく何でも自分で交渉していた。モデルに起用したMSも同じで、カメラマン、親会社、スタイリストにマネージャー。皆個人で交渉に当たってたのを覚えている。モデル兼タレントを目指すのかと思ったらインテリジェントを感じていた彼女は多分芸能界には入らなかったのだろう、と思う。それでも、外人ばかり使っていた化粧品会社に日本人をメイクのプロモーションに起用させたのだから、相当なパワーを自分は持っていたのだと思う。今や対岸のビル群の中で当時からステイタス的に建っていた東芝ビルと東京ガスのビル。それらが他の無名のビル達に囲まれその存在までも解りにくくなって来ている世の中。当時を振り返るとそれぞれのそれらのビルパワーを発散させる凄さまでもが消えて無くなろうとしている現在、淋しさや哀愁と言う形になって現れて来ているのだろか?それだけではなく時代の歴史が変わって来てるのですね。       コウジロウの独り言