努力のレーシングチーム監督。近藤真彦氏

 

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                                                                                                                                                                                photo by Kojiro

近藤真彦氏は1977年中学一年の時にジャニーズ事務所に入った。1979年10月、TBSのテレビドラマ『3年B組金八先生』の生徒「星野清」役でデビュー。この時の同生徒役だった田原俊彦野村義男とともに「たのきんトリオ」を結成。その頃だと思うが、「スニーカーブルース」なんて映画も観た記憶がある。そしてソロ歌手デビュー。1980年代を代表する男性アイドルとして、『ザ・ベストテン』や『ザ・トップテン』などの歌番組を中心に大活躍。黒柳徹子さんに歌唱力を絶賛される。1987年の『第29回日本レコード大賞』において「愚か者」で大賞を受賞したのも良く再放送で見るでしょ。ファンによる“親衛隊”もこの頃誕生。ステージ用の応援コールとして「G・U・T・Sこんどーまさひこアダルトタッチのセクシーボーイ ま〜っさひ〜こ〜」というフレーズも作られたとされている。男性アイドルとしては珍しく、同年代の男性ファンも多く獲得。歌手活動と並行してテレビドラマや映画などで俳優としても活躍していた。年末にデビュー25周年を迎え、ソロとしては7年7ヶ月ぶりに新曲「挑戦者」をリリース。歌手としては約7年ぶりにファンの前に姿を現した。2007年5月9日に発売されたライブDVDについては、映像作品では1987年3月30日付にビデオ『OH! ROCK'A MONO』で獲得して以来、20年2か月ぶりの1位獲得となった。2010年11月20日、『第52回日本レコード大賞』の最優秀歌唱賞に選ばれ、自筆のコメントを発表した。2011年、『3年B組金八先生ファイナル』にて『3年B組金八先生』第4シリーズ第10話以来16年ぶりに「星野清」役として出演したらしい。1984年に富士フレッシュマンレース第2戦に日産・マーチで参戦(35400人の観客を動員)したのを皮切りに、「日本一速い男」の称号を持つレーサーの星野一義のもとでレース活動を始め、1988年から1993年にかけては全日本F3選手権に参戦した。写真はその1984年の最初の富士である。怒られるが最終近くの周回までマッチがドライブ、バトンタッチした星野氏がドライブするとトップ争いに転じる。そんな印象のレースだった。確かシルビアだったような気がする。ただしマッチを卒業した近藤真彦氏は1994年にはフランスのル・マン24時間レースに初参戦。この年、全日本GT選手権JGTC)GT1クラスにま参戦。初優勝をポール・トゥ・ウィンで飾る(1992年の全日本F3選手権チャンピオンのアンソニー・レイドとのコンビ)。1995年にも同じくGT1クラスで優勝した他、その後もGT500やGT300クラスにおいて数々の表彰台獲得やポイントを獲得していた。その後も、全日本F3000選手権/フォーミュラ・ニッポン全日本GT選手権などの全日本格式の最高峰だけでなく、ル・マン24時間レースにも継続して参戦した。ル・マン24時間レースに於いては1995年に雨に祟られて荒れるレース展開の中、マクラーレン・F1やフェラーリ・F40等600馬力を発揮するマシンが跋扈する同じGT1クラスの中で、450馬力と非力な日産GT-R LMで総合10位という殊勲を遂げている。また翌年には同じように雨の中のレースでフォーミュラ・ニッポンで入賞している。そのレースの体験を生かし、監督に就任。若手を上手く使うとか育成に努めており、輝けるチームを創っている。自分がツインリンク茂木で再度彼を見たのは10年近く前。ベントレーかロールスの中から登場し、髪を真ん中でかき分けて出て来た時には、さすがスターを感じた。坊やだったマッチから紳士の近藤真彦氏へ本当に素晴らしいあこがれる変身姿を世に魅せつけている。

                                                                コウジロウの独り言