1985年FUJI。柳田春人選手とコンビを組んでいたのは鈴木亜久里選手だった

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photo by Kojiro

柳田 春人(やなぎだ はるひと、1950年10月21日 - )は、埼玉県出身のレーシングドライバー。自分と年がこんなに近いとは思ってもみなかった。今や自動車チューニングショップセントラル20代表取締役社長だそうな。自分では昔は「やなぎだはると」と言ってた気がする。実子は同じくレーシングドライバー柳田真孝フェアレディZで活躍していたことから「Zの柳田」と呼ばれている。また、かつてF-1で言われていた中島氏同様、国内戦に限るがどしゃ降りの中でも勝利をもぎ取る姿から「雨の柳田」とも呼ばれたらしい。自分の中の記憶にはないのだが言われているのだから本当なのであろう。1980年、1983年富士スーパーシルエットレースのシリーズチャンピオンに輝いている。写真は1985年の富士1,000kmに出場したCanonフェアレディZC。なんととられてた写真はKODAKのPKR。プロ級のカメラマンなら殆んどが記憶にあるはず。FUJIFILMからベルビアが出てからもある程度シェアは確保していた。写真の内容に戻ろう。当然ドライバーは柳田春人。コンビを組んでたのは なんとあの鈴木亜久里選手だった。当時は新鋭で現在のようにとてつもなく有名なドライバーでも無かった。富士1000km(ふじせんきろ)は、1967年から1992年まで毎年富士スピードウェイで開催されていた耐久レース。鈴鹿1000kmオイルショックで中断した時期もあったのに対し、富士1000kmはその間も中断せず開催され続けたが、1993年に全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)の崩壊、および景気後退で中止。以降は開催されなくなった。1999年に富士スピードウェイ35周年企画として、ル・マン24時間レース規定による「ル・マン富士1000km」として一度だけ復活した。 2007年、全日本スポーツカー耐久選手権の1戦として組み込まれ、8年ぶりに復活した。尚、1983年から1988年は「WEC-JAPAN」(WSPCの一戦)として、1989年から1991年は「インターチャレンジ富士1000km」(JSPCの一戦)として、1992年はMSCC(マツダスポーツカークラブ)主催で、富士の1000kmレースは年2回ずつ開催された。とされている。クルマはとにかく格好良かった。                                         コウジロウの独り言