日本アルペンラリーと 篠塚健次郎氏とCOLT SPEED。

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                                                                                                                photo by Kojiro

みんな驚くのですが。これらのブログの写真はすべて自分が撮影した物であること。そして版権も自分にあること。をお伝えしたい。さて本題に入るとする。1971年の9月16日〜19日行われた国内ラリーの最高峰第13回日本アルペンラリーのスタ−トだった。神宮絵画館前に115台と最高の参加台数。ますますスポーツ化する競技内容と交通事情の悪化のため、1/3以上が脱落し、完走は74台にとどまっていたらしい。驚いたことに自分はこのクルマが有名な選手のクルマらしいとシャッタ−をきっていたのが篠塚健次郎氏のギャランだった。本人をこのときは見ていない。自分の撮影した印画紙プリントを解析すると、カリーナGT・ギャランGTO・ブルーバード510・マークIIスバル1000スポーツそしてギャランGS。確かスカイライン2000GTの4ドアもあった。ラリーの状況は次のとおりであった。・第1ステージ 上野村を過ぎた塩沢峠の第2CPで先行の14台を除く101台がコースの土砂崩れなどで通行不能となり1時間半も遅れたため、再スタートと14台に時間調整のレスコンを与えるという不慮の事態発生したのだった。予定より1時間50分遅れて最初の車がゴールの濁河温泉に入ったとのこと。・第2ステージ 乗鞍山項では突如としてクルマの修理の為のサービス村が出現するなど、サービス競争が激しくなったと伝えられている。優勝侯補の筆頭だった篠塚/宮地チームは第1ステージを減点0で折り返しながらも、第2ステージでふるわず、代わって最大の難コース乗鞍を減点0におさえた片川/片川/伊藤チームのギャランが総減点2点という驚異の新記録で総合優勝したと記録に残っていた。●コースは 東京(神宮外苑)〜秩父〜田口峠〜大河原峠〜武石峠〜上田〜菅平〜渋峠中野市白馬村大町市野麦峠濁河温泉(第1ステージゴール)〜坂本峠〜天生峠〜小鳥峠〜乗鞍〜上諏訪〜韮崎〜大磯ロングビーチ●走行距離距離 約1900kmのロングコースだったのだ。自分でもこれらの峠でラリーチャレンジと題してその当時ケンメリでドライビングを楽しんだものだ。ラリーの話に戻るとそのスタ−トを待つクルマ達の中にいた篠塚健次郎氏のギャラン。何故か、スカイライン党だった自分でもラリーのときのギャランはとてつもなく格好いいと感じていた。スタ−トしてすぐに白バイに捕まるクルマもあったり、滑稽な風景でもあった。篠塚選手のクルマのステッカーに「MARCIAL」の文字。今やヤフオク扱いでしか買えないのか?「CIBIE」と同じで今やなかなか耳に入ってこないし見ることもない。このステッカーがスポーツラリー等のステータスだったことを忘れてはならない。この「日本アルペンラリー」も盛んなのか?あるのかも解ってない。第19回スパイク・インターナショナル 日本アルペンラリー(19th Spike International Japanese Alpine Rally)は、2001年5月19日〜20日に群馬県で日本初のインターナショナル格式として開催されたラリー。が最近の盛り上がりのあった催しなのか?ちょっと淋しい日本国内ラリーの世界かもしれませんね?

                                      コウジロウの独り言