読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ビルトインされたボンネットデザインのスバル1000

f:id:kohyusya:20170322204918j:plain自分が中学生の頃。スバル360に代わって我が家に登場して来たのがこのスバル1000である。なぜか親父は軽免許しか所持しておらず、購入したにもかかわらず、しばらくディーラーにこのクルマが展示されていたのを覚えている。世の中の主流は軽トラックやスバル360。ホンダ360。当然カローラやサニーも走り出していた。道路事情は今思えば第3京浜が誕生して100kmで初めて走るクルマ達がボチボチ出て来た頃だ。20kmスピード違反で出口で捕まってる方々も多くいたころである。運転免許の話に戻ろう。軽免許を持っていると府中運転試験所で実地試験を受けて合格すすれば法令は免除されて普通免許証を貰える仕組みかと覚えている。親父は2〜3回不合格だったのか?一ヶ月近くこのクルマはディラーにあった。家族中が憧れていた5人乗り小型自動車スバル1000。360だと後席のうしろに3人乗って交番の傍を通る時、真ん中の自分が隠れることが必要だった。そんなことが必要なくなるクルマがスバル1000だった。しかも後席のフロアはフラット。本当に待望してたのである。スバル1000は富士重工業(スバル)が開発し、1966年から1969年まで生産していた同社初の量産小型乗用車である。スバル1000は1966年5月に富士重工業初の小型車として発売された。そのメカニズムや基本性能は当時のライバル車と大幅に異なっていた。「1,500ccクラス並み」と室内ユーティリティに優れたパッケージングや、ユニークかつ合理的なエンジニアリングは、後世が「スバリスト」と呼ばれる熱狂的なスバル愛好家を生んだ。開発の総指揮はスバル360の百瀬晋六だったそうだ。スバル360で進出に成功した富士重工業開発に当たって、スペース効率と、静粛性、振動には特に留意され、早期から水冷4サイクル水平対向エンジントランスミッションを縦置として、等長のドライブシャフトを用いたFF方式というパッケージングを核に開発を進められたらしい。サスペンションのスプリングにはスバル360と同じくトーションバー(ねじり棒ばね)を採用することによるスペース効率とコストダウンの両立、急坂登坂などFF方式の難点だったトラクション確保と軽量な車重の両立のために、スペアタイヤ、ジャッキ等の工具類までエンジンルームに収納し、フロントに全車重の60%程度の荷重を集中させた。ボンネットの開けられるスペースも確保されており多分開発にお金が掛かってたと思われる。静粛性に優れた「デュアルラジエーター」の開発や完全なフラット・フロアの実現のために、排気管を運転席側サイドシルに配置するなど、スバル1000は多くの特長をもった。合理的で独創的なメカニズムの数々が形成されていったのである。但し、2ドアのスバル1000だと思ったがうしろからバンパー下を見ると貧弱な印象さえ受けた。やがて出てくる他社と比較してシトエンの2CVを連想してしまうような貧弱さをも感じられた。スバル1000は、当時のトヨタや日産などの大メーカーが諦めざるを得なかったFF車両を実現させたことにより多くの自動車メーカーのFF方式への関心を高めた。そしてなんとアルファスッド、シトロエンGSの開発に多大の影響を与え、当時の2社の工場にはスバル1000の残骸が多く見られたと聞いている。発売当初は、トヨタ、日産、マツダなどがしのぎを削る小型車市場で、販売網の販売は立ち遅れたものの、伊藤忠商事との販売提携やエンジニアリングの理想を追求したメカニズムで「スバリスト」と熱心な信奉者を生んだ。徐々に販売台数を伸ばし、1969年3月には月販台数4,000台超と、カローラ、サニーに続き小型車市場の一角を確保したそうだ。またスバル1000の為に開発された「D.O.J」等速ジョイントの成功により、1970年代からの世界的な小型車のFF化への潮流が決定的になったのも事実であるようだ。トヨタに対抗したのか1969年3月にはボアを4mm拡げて1,088ccとしたスバルff-1シリーズへ移行した。妻の親父がこのff-1スポーツを長く乗っていて何度かハンドルを握らせて貰った感触として今でも残ってる。                 

 

 

                                            コウジロウの独り言