読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

お楽しみはこれからだ。スカイライン2000GT・EXと ハードトップ2000GT・TURBO・GT・ES。

1980年代に乗っていたC210系からR30系型に名称変更されモデルチェンジしたスカイラインf:id:kohyusya:20170303224606j:plain

6代目はC10型以来アイデンティティとなっていたリアフェンダーの"サーフィンライン"が廃され、リアのマル型ランプは残されたものの、ホイールベースは4気筒のTIも6気筒のロングに統一された。なんとボディの5ドアハッチバックも1ヶ月遅れで発表された。正直見るまでもない中途半端なデザインと思ったが。その点ハード・トップは素晴らしいデザインで乗る居住空間も確保され、アンテナが室内で上げ下げできたり、トランクスルー等優れたアイデア満載のクルマであった。買うまでの比較対象者はTOYOTA・CELICA・XXであった。デザインはコーリンチャップマンのロータス系の角ばったモノで、格好は抜群だった。しかし後席が自分の座高が高いせいか頭がつかえる状態だった。とても長距離を4人乗車程度でドライブは無理。ドライビングは重厚だったセリカ・XXだった。が、そんなこんなでやっぱりスカイラインとなるのである。当時はスカイラインの生みの親・桜井真一郎氏も多くのメディアに登場し、特にFM局のラジオを筆頭に今までの露出が数少ないテレビまで出てご本人が嬉しそうに語ってたのも記憶に新しい。売れたケンメリが嫌いだった彼はこれに命をかけていたのかもしれない。実家の家族会議では大きなクルマよりスカイライン・タ−ボのような走りの軽快なクルマのことが好きだったのだ。親、兄弟3人ともである。スバル1000からローレル1800そして13万キロ乗ったケンメリ・スカイライン2000GTX、そして2000GTハードトップ・タ−ボと続いたのである。レースでも4気筒だったRSが産まれシルエットファーミュラーと由良さんの手により華麗な姿を富士を飾っていた。自分はその後妻を娶り、新婚旅行は妻の親戚が大勢いる四国の高松へ、そのスカイライン・タ−ボ'ハードトップで向かったのだった。巡航スピード160km..。信じられないと言われますが、よく捕まらないで行けたもんです。ユーミンの中央フリーウエイを中国自動車道で聴きながら快適走行で岡山 アイビースクエアに一泊して大原美術館と、観光しながら。ただ、疲れ果てた自分は当然怒りっぽくなり、帰りの京都の銀閣寺では二人の関係危うし!なんて記憶もあります。その後お金がなかった自分は兄の友人から払い下げ下取り車であったスバル・レオーネのハンドルを握るのである。なんとそれは6万円のクルマ。なんとキャッシュで購入。 2年も経たないうちに、スカイラインを買う下取り車として19万円の価値として変貌するのである。イトコの旦那がスバルのコピーを書いてたこともあリスバルを所有。そのイトコの旦那へ、自分がはいていた純正の金色のアルミホイールを譲り、インチ違いの小さいホイールでニッサンの営業が持って行ったのを覚えている。ここでやって来たのが写真の4ドアの2000GT・EXである。新婚旅行を2000GT・タ−ボでハンドリングしたこともあり、ケンメリから歩んで来たスカイライン党としての意地からかL型エンジンの6気筒の味を掴みたく写真のクルマのオーナーになるのである。30代前半のことである。それからしばらくして兄がスカイライン・タ−ボ2000GTXータイプM(正式名称は割愛)、弟が7th・スカイライン・ターボ(R31型)、そして自分がノーマルエンジンL20のスカイライン2000GTと兄弟3人とも再スカイライン党となるのである。それから3人のドライバーはすべてマニュアルシフトを選択。ドライブをレーシーに楽しむタイプだった事実も言っておこう。やがて自分と弟はフランスのスポーティカー=シトロエンBX16V、プジョー405 Mi16と同エンジンのオーナーとなるのである。なんと影響はカーグラTVの松任谷さんではなく田辺さんと当時NAViの松本女史だった。お楽しみはこれからだと心から思ってた。

 

                                                    コウジロウの独り言