葉山港の風を呼ぶ!1等航海士は台風の前日でも出航! ベテランのスキッパーは超スリリングだった!

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嵐が2日後には上陸か?とニュースで伝えられていたある土曜日の朝。兄弟二人とオーナ−のI氏が旧葉山港(鎧摺港)に集合。ラマーレ茶屋の隣の港。三浦半島相模湾側に位置し、「鎧摺港」と呼ばれてかつては古くからの沿岸漁業の基地だったが、当時「コンンテッサJr」(石原慎太郎が元所有してた)を代表とするクルーザーが多く置かれていた港である。当時は周辺にクルマが停められた「コンテッサJr」の隣に停泊していた国産の木造船のデッキにもう一人のボーイッシュな女性と4名のスキッパー&クルーが揃った。写真ではあまり厳しくは写ってはいないが、この後パーカーを冠っていた全身がズブ濡れになる。よく見て頂きたいのがヨットの傾斜角度。そして遠方のウネリ。その操船の技術が素晴らしかった。自分とか若いスキッパーだったら、強い風に任せて風の向きに合わせボートのハルを思い切りたたいてでもまっすぐ角度の通り向かい、速度を上げ「ドンドン・バタンバタン」進んで行ってしまう。がそのI氏は違っていた。海軍の経験もあるとか言われるだけあって、「1等航海士」であることは間違う余地もなかった。素晴らしい風を掴みながらの操船。波の尾根づたいになめらかに進んで行くのだ。「ディンギー」ではやや横波にあたる量が多かったらチンしそうなイメージがあるが、長さが短い24フィートの「クルーザー」でもびくともせず風をとらえてスムースに進んで行った。「ゼノア(前の帆)」も「ストーム」にせずノーマルで操船。(自分では絶対無理)1980年近い70年代のお話である。船の種類も解らず?足立の木造船か?I氏がご健在なのか?も現在は解っていない。自分も震災後の海の怖さを知りあまり通わなくなった「ヨットハーバー」。三浦半島では「シーボニア」や「佐島マリーナ」にはドライブでよらせていただいていたが、ここのところ「葉山マリーナ」や「旧葉山港」に近寄ったこともない。一枚の写真からあの頃のスリリングな時や、あの船はどうしてるのか?色々と思い出と質問したい内容までも蘇ってくる。もう帰ってこないクルーとしてのポジショニング。30年前のまた別のクルーと操船したことのある油壷のクルーザー。「ブルーウォータ−派」の「格好附けヨットマン」は自分の体の中の思いでからも消えて行ってしまうのか?ヨットの時はカメラを持たない主義だった自分がほんの数枚だけ残した写真。本当に嘘をつかない新鮮な空気、そして風までも運んでくれた。

 

コウジロウの独り言