愛のスカイラインの倍の売上げを果たしたが? 桜井真一郎氏に嫌われていたケンとメリー。

f:id:kohyusya:20160909203245j:plainBUZZの曲「〜愛と風のように〜」が流れ流面美のコバルトブルーのハードトップ2000GTが「ケン&メリー」と登場!1972年に日産 スカイラインはモデルチェンジを受け、C10型「ハコスカ」からC110型「ケンメリ」にバトンタッチしたのです。Photoは自分が乗っていたPKGC110型スカイライン 2ドアハートトップ 2000GT-X(初代なのにレギュラー仕様)。ラリーの練習(写真・奥志賀)にいったり、ブラバンの楽器を神宮まで運んだり、色々なシーンで活躍してくれた。
4速のマニュアルは坂道の上りでその力を発揮してくれた。下りは最悪。ロータリーほどではないがエンジンブレーキが聞かなかったのを覚えている。粋な7連メータ−がインテリヤの目玉。トリコットクロスのシートを倒し、トランクスルーも重宝だった。幻としてしか見れなかったスカイライン2000GT-R(右下の写真)はとてつもなく格好が良かった。軟派路線に転じた4代目「ケン&メリー」スカイラインはハンドルはバリアブルレシオ。低速で軽く高速で重くなる。高度な技術も搭載。クラッチも重くユーザーからすると決して軟派なクルマではなかった。開発者の故・櫻井眞一郎氏は「本当のスカイラインではない」「商品として作った車」とのこと。

桜井氏に好かれていなかったと最近知ったのにはショック!驚かされた。

歴代スカイライン史上最高の販売台数を売り上げた「ケンメリ」スカイライン。最多の68万台を生産された。先代ハコスカは30万台だった。つまり倍増したのだ。
ハコスカ」に乗って北海道にも行ったりしたが、シングルキャブの箱スカよりも「ケンメリ」GT-Xはツインキャブで心地よいサウンドだった。多くの自動車ファンに門戸を広げてくれたのは「ケンメリ」だった。ただ林道でロウまでシフトダウンをしてたらクラッチディスクを割ってしまった。そんなオーナーがいたことは事実で恥ずかしかった。
完全に軟派なイメージだが、社会現象を起こすほどの大ヒットを起こした。カタログのレイアウトも素晴らしかった。「ケンメリスカイライン」といえば、やはりリアの丸型4灯。例え他メーカーの他車種であっても、リアコンビランプが丸型4灯ならスカイラインと誤認するほど。スカイラインアイデンティティとして根付いていた。クラウンにとられたり、他車にも丸形のテールライトはとられている。
あの箱スカは丸形テールではなかった。なのにノスタルジー的に丸形テールを呼び起こすのか疑問である。
マーチャンダイザーが最初にデザインするのは基本だけであって、創造してモディファイして行くのはエンドユーザーである我々生活者であることの証明をこのスカイラインは語ってくれる。
                                       

                                      コウジロウの独り言