「日本での初試合の靴底は青かった」

元ボクシング王者、モハマメッド・アリ氏が死去の報。74歳だった。

30年超の闘病の末、亡くなった。 を聞き、1970年代を振り返る。

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                                                                                                               photo by Kojiro

「1976年に伝説の猪木VSアリ戦に決着はない」と言われた「世界格闘技の日」と有名な試合があった。それ以前に復帰戦があったのを知ってますか?

その時、朝のトレーニングに連れて行く運転手をしていたのが私コウジロウです。通訳とカメラマンの4人でホテルニュージャパンからホテルオークラへ同行する係をやってたSP兼ドライバー。

免許を取ってから3ヶ月、当時19歳だった。国会議事堂を回って行く超遠回りコースをとっていた。アリの日本での初試合はもちろん武道館。その試合のスポンジも銀色のバケツも自分が赤坂の一ツ木通りで買ってきたものだった。試合のマットが滑稽だった。当時12チャンネルがあった東京タワー下のスタジオで、ペドロ&カプリシャスのメンバーがいる前で、スプレー缶を使って7〜8人で塗ったもの。17歳の南沙織やスターにしきのあきらもいた隣のホールを使った。4〜5時間かかって塗り終えただろうか?武道館へ運ばれた。再放送やyoutube等で見る機会があったら見てもらうと解るんです。歩いた足跡が白く残ってるのが。白洋舎にもが見放され、スプレー缶塗装だけで定着もせず塗りっぱなしのマット。デザイナーの卵だった自分の一声でスプレー塗装になったからなんです。写真は神宮でトレーニングしてるモハメッド・アリ。撮影クルーの姿が滑稽。使用してたクルマは。4代目のM560トヨタクラウン。ウィンカーがヘッドランプの上についていた。もう一台は四角目のハードトップのクラウン。マネージャーを乗せ都内を快走した。

口にマクドナルドのビックマック、左手にコーク。ノークラで。運転は?ご想像に任せるそうです。アリのマネージャーからはいつもこう呼ばれてました。「You are a silent nice Driver.」。

いつも静かで「Where we go.」と「again」しか言えなかったからです。ナビはなくハンドルの中で23区の地図だけが踊ってましたっけ。         コウジロウ