深々と静かなアンカレッジ。行きたくても今は近くて遠い?

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1974年2月テッド・スティーブンス・アンカレッジ国際空港JALのジャンボ機747が雪の滑走路に降りた。TVのかつてのドラマ「GOOD LUCK」風に言えば「ランディング」。何故かガタガタ大きく揺れ、上の荷物入れの傍の天井から黄色のエアマスクが細い透明ホースと共に殆ど全員の頭上に落ちて来た。「ガタガタランディング」。ヨーロッパ20日間の旅と卒業旅行を目的に自分を乗せたボーイング747はテッド・スティーブンス・アンカレッジ国際空港に降りたのである。初めて乗った航空機の着陸の体感は「こんなに怖いんだ」だった。なんせ当時は羽田からのフライト。かつて北極圏回りヨーロッパ便が給油の為に必ず寄港。現在でも航空貨物のハブ空港であるなど、世界的に重要な空港であるため、航空貨物業も発達しているそうだ。自分の747は事実上オーバーランだった。雪だらけで何処までが滑走路なのか室内の窓越しからは解らなかった。逆噴射がうまくいかず、タイヤ6輪のバーストが発覚。ケガ人が出なかったのが幸いである。しばらくして空港から30分搭乗員全員がバスに乗り30分のところに移動。それからホテルに10時間カンズメだった。こんなブログに書く内容ではないが、決してこれから社会人になる物がやってはならないことに挑戦した。マイナス10度以上のところで立○○をしたらどうなるか?男3人でホテルの裏で実験をした。ただ普通の結果だった。USAの法律では禁固刑もあるとか?当時はそんなことすら考えてもいなかった。アンカレッジは北米を代表する港湾都市の一つであり、アラスカ州における商工業、金融の中心地である。写真は冬だけに真っ白な世界。古くからの水産業林業も盛んで、特に水産品は日本向けに多く輸出されているそうだ。アンカレッジはアラスカ州南部のクック湾の湾奥に位置し、北緯60度、西経150度とかなり高緯度である。北方には北アメリカ大陸の最高峰であるデナリ(マッキンリー山)、東部にはロッキー山脈の高峰がそびえ立つが、西部は原野が多い。写真の風景はニックアームと呼ばれる氷河の入り江なのか氷の湾が広がり、遠くにファイアー島とポイントマッケンジ−の丘が覗けるみたいである。今から40年以上前のアンカレッジの町は深々としてまさしく静かだった。アンカレッジの名は、この臨時の投錨地(anchorage)が置かれた時に作成された地図で、一般名詞の「anchorage」とすべきところを「Anchorage」と誤記してしまい、これが固有名詞として定着したことに由来する。1778年に周辺海域を探検したキャプテン・クックが投錨したことから名づけられたという伝承があるが、実際にはそうした記録はない。不思議なことでもある。前にも述べたがスタジオ・ジブリの読み方間違い。ギブリをジブリと読んでしまったが為に覚えやすいやさしい名前になった例もある。1990年ごろまで(冷戦時代)は、西側諸国の航空機はソビエト連邦領空の通過をほとんど許可されなかったため、日本とヨーロッパ間の航空便の経由地として頻繁に使用されており、なじみ深い地名であった。ツンドラ地帯をとんだ747。空からの地球は本当に不思議なせかいだった。当時のターミナルには日本人をターゲットにしたうどん屋まであった。日本からの定期旅客便は無くなったが、各国からの臨時便やアメリカ各州からの定期便は多数存在しており、2015年度の旅客実績は約540万人だそうだ。最後にアンカレッジの10時間の為に、ローマが一日減ったのを覚えている。追加料金で燃料代高騰のためと言われ、オイルショクの影響を受けたこともショックでした。

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お楽しみはこれからだ。スカイライン2000GT・EXと ハードトップ2000GT・TURBO・GT・ES。

1980年代に乗っていたC210系からR30系型に名称変更されモデルチェンジしたスカイラインf:id:kohyusya:20170303224606j:plain

6代目はC10型以来アイデンティティとなっていたリアフェンダーの"サーフィンライン"が廃され、リアのマル型ランプは残されたものの、ホイールベースは4気筒のTIも6気筒のロングに統一された。なんとボディの5ドアハッチバックも1ヶ月遅れで発表された。正直見るまでもない中途半端なデザインと思ったが。その点ハード・トップは素晴らしいデザインで乗る居住空間も確保され、アンテナが室内で上げ下げできたり、トランクスルー等優れたアイデア満載のクルマであった。買うまでの比較対象者はTOYOTA・CELICA・XXであった。デザインはコーリンチャップマンのロータス系の角ばったモノで、格好は抜群だった。しかし後席が自分の座高が高いせいか頭がつかえる状態だった。とても長距離を4人乗車程度でドライブは無理。ドライビングは重厚だったセリカ・XXだった。が、そんなこんなでやっぱりスカイラインとなるのである。当時はスカイラインの生みの親・桜井真一郎氏も多くのメディアに登場し、特にFM局のラジオを筆頭に今までの露出が数少ないテレビまで出てご本人が嬉しそうに語ってたのも記憶に新しい。売れたケンメリが嫌いだった彼はこれに命をかけていたのかもしれない。実家の家族会議では大きなクルマよりスカイライン・タ−ボのような走りの軽快なクルマのことが好きだったのだ。親、兄弟3人ともである。スバル1000からローレル1800そして13万キロ乗ったケンメリ・スカイライン2000GTX、そして2000GTハードトップ・タ−ボと続いたのである。レースでも4気筒だったRSが産まれシルエットファーミュラーと由良さんの手により華麗な姿を富士を飾っていた。自分はその後妻を娶り、新婚旅行は妻の親戚が大勢いる四国の高松へ、そのスカイライン・タ−ボ'ハードトップで向かったのだった。巡航スピード160km..。信じられないと言われますが、よく捕まらないで行けたもんです。ユーミンの中央フリーウエイを中国自動車道で聴きながら快適走行で岡山 アイビースクエアに一泊して大原美術館と、観光しながら。ただ、疲れ果てた自分は当然怒りっぽくなり、帰りの京都の銀閣寺では二人の関係危うし!なんて記憶もあります。その後お金がなかった自分は兄の友人から払い下げ下取り車であったスバル・レオーネのハンドルを握るのである。なんとそれは6万円のクルマ。なんとキャッシュで購入。 2年も経たないうちに、スカイラインを買う下取り車として19万円の価値として変貌するのである。イトコの旦那がスバルのコピーを書いてたこともあリスバルを所有。そのイトコの旦那へ、自分がはいていた純正の金色のアルミホイールを譲り、インチ違いの小さいホイールでニッサンの営業が持って行ったのを覚えている。ここでやって来たのが写真の4ドアの2000GT・EXである。新婚旅行を2000GT・タ−ボでハンドリングしたこともあり、ケンメリから歩んで来たスカイライン党としての意地からかL型エンジンの6気筒の味を掴みたく写真のクルマのオーナーになるのである。30代前半のことである。それからしばらくして兄がスカイライン・タ−ボ2000GTXータイプM(正式名称は割愛)、弟が7th・スカイライン・ターボ(R31型)、そして自分がノーマルエンジンL20のスカイライン2000GTと兄弟3人とも再スカイライン党となるのである。それから3人のドライバーはすべてマニュアルシフトを選択。ドライブをレーシーに楽しむタイプだった事実も言っておこう。やがて自分と弟はフランスのスポーティカー=シトロエンBX16V、プジョー405 Mi16と同エンジンのオーナーとなるのである。なんと影響はカーグラTVの松任谷さんではなく田辺さんと当時NAViの松本女史だった。お楽しみはこれからだと心から思ってた。

 

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トレヴィの泉に後ろ向きにコインを投げて来たけど4回目は未だに来ない。

f:id:kohyusya:20170216183539j:plain後ろ向きにコインを投げ入れると「願いが叶う」という言い伝えがある。3回この場所に来れたのはそのおかげなのかも?但し「右手にとって左肩の上から投げるともう一度来れる」。なんて記憶があったが、「投げるコインの枚数によって願いが異なる」とされるのが本当らしい。「コイン1枚だと再びローマに来ることができ」、2枚では「大切な人と永遠に一緒にいることができ」、3枚になると「恋人や夫・妻と別れることができる」と言われる。この説が本当ならば3回来れたのはなんだったんでしょう?1枚だけを投げてたからなんでしょうか?但しそれも「ローマに」ではなく「トレビの泉に」。当然ローマに来てるわけですけど、その後4回目が実施されないのは公約違反ですかね?その三枚目のコインの願いはキリスト教が離婚を禁止していたという歴史の名残りでもあるらしい。トレヴィの泉は、ローマにある最も巨大なバロック時代の人工の泉。ローマの観光名所。トレビの泉、トレドの泉とも呼称される。ポーリ宮殿の壁と一体となったデザインで、まさしく「ビルト・インデザイン」そのもの。中央に水を司るネプトゥーヌスが立ち、左に豊饒の女神ケレース、右に健康の女神サルースが配置されている。これら池全体の造作はニコラ・サルヴィ の原案でピエトロ・ブラッチが制作したとされている。クイリナーレ宮殿の西側、スタンペリア通り沿いのトレヴィ広場にあり、ローマ地下鉄A線バルベリーニ駅から徒歩圏内に位置する。1から2回目はバスで、そして3回目に行った時はリムジンだったので地下鉄での生き方が解ってません。元々、古代ローマ時代にヴィルゴ水道の終端施設としての人工の泉が場所を替えた後、今の位置になったそうだ。その後、泉は教皇クレメンス12世の命によりローマの建築家ニコラ・サルヴィの設計で改造、彼の没後の1762年に完成した。最後に訪れた時には工事をしていてコインを投げる事をしませんでした。そこははっきりとは覚えてないのですが、だからなのか4回目はまだ無いのです。2回目かと思ってたのですが、3回目は家族で行ったので妻から言われ思い出したのです。公約違反どころかむしろ言い伝えは本当だったのです。肩からコインを入れてこなかったんです。高さ25m、幅役20mの巨大なトレビの泉は、バロック時代に建てられた最大の噴水。トレビという名前は、イタリア語で数字の3(トレ)と道(ビア)という意味をもつらしい。文字通り、3つの道が出会う場所。13キロも引かれた古代ローマの水道の終端点であった。この水道は、400年以上もの間、ローマ人に水を供給したという歴史を持っているからなのかもしれませんね。

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ピサの斜塔はもしかして、神々の怒りの産物なのか?

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                                                                                                                photo by Kojiro

前にブログに書かせて頂いた、フィレンツェの駅から出発してピサへの旅が出来ると言ってたのを覚えて頂いてましたか?ピサの建物はロマネスク様式のキリスト教の聖堂である。ピサは11世紀頃から自治都市として地中海貿易で繁栄したそうで、経済的繁栄を背景として聖堂の建設が計画されたそうです。聖堂は11世紀半ばに着工され、12世紀に完成した。続いて聖堂の周囲に洗礼堂や鐘楼が建設されていく。この聖堂の傍らにそびえる鐘楼が、あの「ピサの斜塔」である。このピサ大聖堂は、ロマネスク様式の代表として知られている。建築などの美術様式のことを差してお「ローマ風の」という意味で、ローマ時代の建築の影響が強く見られるのでこのように呼ばれるようになったそうだ。またバシリカ様式は、内部の広間が真上から見てラテン十字型の形状になっている構造である。ロマネスク様式のもう一つの特徴は、半円アーチが繰り返し使用されていること。廊下の天井やドームにおいて半円アーチの形状がある。こんなことを言いたくてこのブログを書いている訳ではありません。この大聖堂が出来たいきさつが問題。各地にキリスト教信仰の中心地が確立し、その富と権勢の大きさを表す手段としてピサ大聖堂が作られるようになったからである。言わば権力の象徴としての建造物なのです。ここが重要なことで内部の円柱の多くはイスラム教徒から略奪したもので、内部装飾にはイスラム様式のアーチやビザンティン風のモザイク画など、東方文化の影響を見ることができるのですが、そのほとんどが戦利品だと知ったらがっかりします。それらを集めて集約する慣習がこの頃からあったのだと痛感してしまいます。イスラム教徒はこの頃も迫害を受けていたのか?今と通ずる物があるのか?知りたいことでもあるのだ。ただ単に美しいだけでこれらの建造物は語れない。大聖堂は1064年、都市国家であるピサがイスラム軍と地中海貿易の覇権をアラブ勢力と争い大勝した「パレルモ沖海戦」を記念して起工されたんだそうだ。ギリシア人ブスケットの設計、指導の下に着工が行われ、12世紀にライナールドがファサードを完成させた。大聖堂の建設にかかった期間は1064年から1118年と約半世紀にもわたるとされる。約200年位かかっているのだ。血みどろの戦いや略奪からの結晶であるなら本当の美しさを疑いたくなる。それから34年後の1152年には洗礼堂が、さらにその19年後の1173年には鐘塔が、大聖堂の周りに建設され始めた。それぞれの建築物は14世紀後半に完成され、現在のドゥオモ広場が生まれた。11世紀から12世紀の西ヨーロッパではキリスト教信仰の高揚を背景に教会の建設がさかんになり、イタリアやフランスを中心としてロマネスク様式の聖堂が各地に建設された。とある。信者たちはピサの大聖堂を含む各地の教会を訪れ薄暗さや壁面の彫刻によって演出された重く深みのある空間のなかで、神への祈りを捧げたのだろう。それにしても、これほど安定感を持った聖堂の隣にある塔が傾いて斜めになってしまったというのは歴史のおもしろいところだと思う。もしかして、ピサの斜塔はその略奪や迫害からの神々の怒りからできたものなのか?だから傾いてしまったのではないだろうか?歴史を見抜かなければ今現実にある物の本質を掴むことは出来ないのである。単純にこの斜塔に登ったから!なんて簡単なお話ではない、歴史を語る貴重な建造物なのである。

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もう一人の家族。彼女の名前。君の名は「カエラ」。

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                                                                                                                   Photo by Kojiro

我が家の一員。雑種のメス猫の「カエラ」です。我が家では皆にかわいがられている。一人でいつも過ごしているアメリカショートヘアの「達哉」とはまるで性格が違い、犬と同じ様に呼ぶとすぐにやって来る。おかげで私たち人間たちは本当に癒されているのです。マンションのクリスマスツリーの下に捨てられていたのか?起きざりにされてたのか?とにかく迷いネコだったのです。管理室にいるところを妻が見つけ連れて来たのですが、今や家のマスコットです。我が家の会社員の長男が帰ってくると直ぐ彼の足下に寄り添いゴロニャーンと甘える。エサやおトイレの世話をやっているのはほとんどが妻。フォローは自分。息子は何もやらない。そんな世話をしない息子に何故甘えてばかりいるのか不思議である。本当の優しい人を知ってるのかもしれません。息子はそのころファンクラブに入っていたのでこの女の子は「カエラ」という名前にになったのです。エサとベランダへ出たい時に意思表示をし、そのときだけ甘えてくる「達哉」は近づくとすぐ逃げる。「達哉」も息子がネーミング。前から決めてたみたい「達哉」も「カエラ」も飼い主が可愛い過ぎてるのか、まるで我が子の様に一緒に生活している。「カエラ」は最近のTVのCMで見る「じゃ乱の猫」に似ているとか、岩合さんの「海」に似てるとか言われていたのですが、太ってしまって、今は似ていないかも。遊びを求めて来たり、掃除機でなでなでするとフローリングでもソファの上でもごろにゃーンてさせてくれる「カエラ」は本当に素晴らしい家族の一員なのです。「達哉」も一員なんですが、甘えようと絶対にしないのです。「カエラ」はもう5〜7歳。猫の事解ってないのはもしかして自分だけなのかも?あれ?君の名は?  

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「かまぼこ屋根」を採用する、新渋谷駅と車両デザインの関係は?

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                                                                                                               photo by Kojiro

JR東日本の各線(後述)、京王の井の頭線、東急の各線、および東京メトロの各線という4社の路線が乗り入れるターミナル駅に完璧になる渋谷駅。JR以外の各線はすべて当駅を起点・終点としている。この写真は以前の東急東横線のプラットフォーム。このフォームの表面がデコボコしているのが目立つ。1972年頃の風景。古かったんだなあと改めて思う。東横線副都心線田園都市線半蔵門線はそれぞれ相互直通運転を行っている現在。東横線副都心線と、田園都市線半蔵門線との駅は東急と東京メトロの共同使用駅であり、4線を東急が一体で管理しているとのこと。かつてはシンプルに階段の上り下りで東急から山手線のホームへ。そして東急百貨店東横店にと簡単に行けた。確かに距離はあったのかもしれないのですが、見えるだけに目標が定まっていた。「渋谷駅南街区」は東横線の旧渋谷駅があった区域に相当するそうで、写真の「かまぼこ屋根」があるエリア。国道246号の南側に建設され、地上35階、地下4階建てとなる。名称は、「渋谷ストリーム」と発表されました(高さ約180mになるそうです)。「ストリーム」は「流れ」や「小川」を意味し(自分の乗っていたクルマの名前がホンダストリームだった)、下を流れる渋谷川などの「流れ」を表現。「クリエイティブワーカーの聖地」をコンセプトとし、オフィスにはデザイン系やIT系などのクリエイティブ企業が入る予定。「新たな次代の流れを生み出す」(東急電鉄)という意味だそうです。また、渋谷駅の地下2階から地上2階までつながる動線空間「アーバン・コア」と「国道246号横断デッキ」が建設され、「渋谷ストリーム」に直結するそうです。「国道246号横断デッキ」には、旧東横線渋谷駅のホーム高架橋が一部再利用されるほか、さらに旧駅舎の特徴だった、アーチ状の屋根が連なる「かまぼこ屋根」も再現される予定です。これにより、首都高3号渋谷線と国道246号による街の分断が解消されるといいます。いい物はそのまま残し、新しいものは自然なデザインに切り替える様はまさしく日本の真価。これから完成される渋谷駅をずうっと見続けようではありませんか?但し残念なことに写真で解る様に今の電車は私鉄でも東京メトロ(これも私鉄だが)でもあまり変わった印象がない。以前の車両はつり革にも特徴があった。思い出して下さい。日比谷線が13000系を出し、新しさを生活者に与えようとしてるらしいのですが、グッドデザイン賞を取った10000系はインテリアでとることができたらしいのですが、そんなに変化を感じない。ただし、天井部のトリプルスキン構造と、蛍光灯と空調ダクトを一体化したマルチファンクションモジュールの採用した天井内部の省スペース化を図り、従来構造より高い中央天井を実現してるそうだ。たぶん今の有楽町線に採用されているものですよね。まあ。以前の東横線とはかなり違ってますがね!「慣れる」っても恐ろしいですね!新鮮さが無くなってしまうんです!                                   コウジロウの独り言

 

Cat`s Eye Canonetから50年。我が輩は猫であるから111年。 我が家の猫はアメリカンショートヘア。

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我が家の猫。アメリカンショートヘアのオスの「達哉」です。我が家では高級な革製のソファアーに陣取り、一人でいつも過ごしてます。おかげで私たち人間はそのソファーには座れないでいるのです。購入してからこのかた、横になったりただ腰掛けたりも何回出来たのでしょうか?この猫の為に買ったソファーの様である。粗相をしてしまうのです。それをさせない様に100均のトゲトゲマットを引詰め猫のいる場所以外においてるわけです。もう一匹の猫・メスの「カエラ」が来てから自分の縄張りなのか、居る場所の周りにマーキング的にしている様です。アメリカン・ショートヘアは、17世紀にメイフラワー号でアメリカに上陸したネコの子孫らしい。「達哉」はこのアメリカンショートヘアである。運動能力の高い、大きな脚を持つ中型の猫である。と書かれている。寒さ、湿気、および表皮負傷からそれらを保護するために硬い毛皮を持つ。その通りでブラシで梳かすと和猫とは大きく毛並みは異なる。油っぽいっていうか何か保護されている物質が毛の周りにある様に感じる。人間の髪の毛のキューティクルとは異なるのだが何かWで毛がはいてるみたい。毛を梳かされるのが嫌いでベランダでほのぼのとした光を浴びている場所でないとなかなか梳かさせてくれない。毛皮は冬に厚く、春に薄くなる。いずれも同系のブリティッシュショートヘア種より体重が軽いのが特徴。ただし、容易に太り過ぎる傾向があるため、健康管理に注意を払う必要があるそうだ。陽気で賢く好奇心旺盛。遊び好きで、同居人と仲良く暮らすことが可能。なんて書かれていたのですが、うちの「達哉」はもう一匹の和猫「カエラ」には本当に拒否反応を示す。狩りが得意だとか、アメリカンショウトヘアーには特徴がある。「カエラ」に狙いを、毎日つけ追いかけている。明るく優しい気質とあるが。我が家では「カエラ」の方が明るくやさしい性格。「カエラ」はまるで犬に近い。呼ぶと来る。掃除機で毛並みを揃えようとすると「ゴロニャーン」とお腹を見せる。小さい子供の遊び相手にもなれるのは「カエラ」。「カエラ」と違い神経質で明るい気質とは思えないのが「達哉」。ただ一人おとなしくソファで寝ているだけである。ただ、2匹とも息子の部屋に入り浸りである。息子が帰ってくると何処に居ようととんで来て息子の部屋に入って行く。寝てるとその胸の上に「カエラ」。足下に「達哉」となるのだ。うちではとても飼いやすい猫だが餌代も馬鹿にならない。固形の餌の他、缶詰以外の生エサ(スープだけ)をあげ、決まって時間通りに食事をするのが日課となっている。その飼いやすさから日本でも1990年代後半頃より流行し始め、現在ではごく一般的な猫の品種として定着した。『アメショー』という略称で呼ばれる。「我が輩は猫である」というよりも「我が輩は一家の主である」という。我が家は猫無くして語られなくなった。ただ人間の世帯主が猫アレルギーであるのが残念なことである。

 

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